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2010. 8. 8

第98(日)カーデザイン

今週半ば、カーデザイナーに出会う幸運があった。現在はトヨタのアメリカにある子会社に勤めるH氏。建築が構造や設備、サッシなどの専門のデザイナーが関わるのと同じように、車も無数の専門領域から構成されていて、やはり建築と同じように、意匠設計者が全体総括者的な役回りを行う。車は、建築よりずっと小さいが、ずっと多くの専門職を要するようである。エンジン、駆動、内装、音響、電装、その他・・。
H氏はトヨタの3台目プリウスの意匠デザイナー(そう言う言い方をするのかどうか?)であった。興味深い話の数々が、その夜の韓国鍋上空を占領した。
・車は、世界中に売ろうとすればするほど、大変になる。というか、平均化する。国の数だけ法律があるから、全部を満たしていかなくてはならない。→建築はそういう意味では逆で、その国や地域の法律にだけ従えばよい。
・CMなどで出てくるモデリング(発砲スチロールの芯に工業用粘土)は、車のデザインには必須のもの。あれで社内の検討がなされる。車はスケールが重要で原寸でなければ、評価できないとのこと。→建築もスケールは同様に重要だが、計画全体を原寸で検討できる状況などありえない。
・プリウスは軽量化を目指すために、ボンネットとバックドアにアルミのプレス材を用いている。アルミはプレスしたときにカタチが元の方向へ戻る性質があるので、その戻りを考慮して工場を回す。だから工場からは非常に嫌われる。(2台目プリウス?の時は)工場内で精度が確立されず、出荷直前まで、バックドアのかみ合わせから漏水していたとのこと。→建築にもおなじみのアルミは基本、押し出し成形材なので、むしろあらゆる他の素材より精度がいいとされている。
・プリウスのツーリングセレクション(オプション仕様の一つ)には、電池消耗を減らすためフロントライトにLEDが用いられている。これはレクサスに続き世界で2番目に採用された事例とのこと。
・最近丸っこいカタチの車が多いがこれは、なぜかというと、一つはコンピューターで描いた図面がそのまま工作ロボットに連動するCADCAMのシステムが確立し、造形の自由度が増したことによることと、そういう曲面のデザインが大衆に受けがいいからということ。→技術が先か流行が先か?これは建築にも似たようなことが言える。
・日本やアメリカでは、中級クラス価格帯のプリウスは、ヨーロッパでは、ほとんど高級車並みだという。(3万ユーロか4万ユーロか忘れたが)その理由は単純に、日本で生産したものを運ぶと結局そういうコストになるとのこと。インドでは関税の問題で500万円以上するとか。

建築従事者にとっては、似ているようで微妙に異なるモノづくりの事情が連発した。が、殊、空気抵抗の話はさらに愉しい耳学問だった。

空気抵抗係数=CD値、いうまでもなく走行時の空気抵抗がいかに少ないカタチであるかの値。これに正面の投影面積A平米を乗算して、車体の空気抵抗が求められる。どんなにCD値を低く抑えたカタチであっても、車内の空間を大きく取れば結果の抵抗は大きくなるし、逆に車高をペシャンコにして投影面積を小さくしてもCD値が大きくては、結果の抵抗は小さくならない。例えば僕たちの子供時代にたくさんプラモデルとして眺めたランボルギーニカウンタック。いわゆるペシャンコの類のフォルムで、いかにも風を切りながら走る美しいフォルムで、プラモで見ていたあのカタチの実物を見た時には、身震いするほど感動したものだ。ところがこの車のCD値は0.44、今最も優秀なのがBMWの0.22などと比較すると、空気抵抗の小さいというイメージのペシャンコフォルムは、実は見かけ倒しであったことが解る。「抵抗がなさそう」というのと、本当に「抵抗がない」というのの間には、溝がある。抵抗がなさそうな全体であっても、空気は微細なところに抵抗をつくる。つまり、全体がよくてもディテイールにその概念が及んでいないと、全体がパーになるのである。
さらに特記すべきは、カウンタック(日本でしか通じない発音らしい→「クンタッシュ」の方が近い)が最初に発売された70年代から、ずいぶんと自動車における流体力学の解析技術が進んだ中で、コンピューターは思いの外サブ的で、現在でも基本は原寸モデルによる風洞実験を頼りにするとのこと。ここが、建築がうらやましいところかもしれない。建築はコンピューターのおかげで随分と構造解析技術を高め、巨大で、アクロバティックな自由造形を可能にしてきたが、原寸全体は実験でなく本番となってしまう。悲しいかな建築は、地震や台風などの天災を経験することによって、技術を発展させてきたところがある。

2代目プリウスのCD値は0.25、3代目プリウスのCD値0.24、0.01の前進の中身には計り知れない工夫が込められている。しかし、単に、流体力学の理想の一本道をつきとめたという一元的な作業ではなかった。ルーフと呼ばれる車の最も背の高い所を車長に対して何処に持って行くかで、CD値は動く。2代目はほぼ長さの中央でこれが流体力学の理想、CD値のマイナスを産み出すことができる。ところが3代目はそれを後ろへ後退させた。なんとなく速そうなイメージになるが、逆に抵抗は大きくなりCD値はプラスになってしまう。それを承知で採用し、その代わりその他の小さなところの工夫を必死になって集積し、合計すると結果的には2代目より値を低くすることができた。つまり、3代目はルーフの位置を2代目のように、真ん中あたりにすれば、さらにCD値は稼げる余裕を持っている。なぜ、それをしなかったか。単純に意匠の問題であった。中央がこんもりと盛り上がっているより、走る車は真ん中より少し後ろが盛り上がっているほうが、「かっこう」が良い。美しい車体に共通した、原理のようなものである。
1?3代目のステップアップと共に28km、35.5km、38kmと燃費の向上は確かにあった。日本ではその間、エコカー減税などの税制的優遇も進んだ。しかしこれだけで3代目の他に比較のならぬ世界ヒットを片づけることは誰も考えないだろう。燃費を何より重視しようとしたハイブリッドカーのカタチに、それと食い合う別の原理が奏功していた。思いの外人の興味はカタチに左右されていた。ハイブリッドカーという、機械的スペックによって世界中に販売されるモノのデザインの中にでさえ、美学的な原理が一定の幅を持っていることに、やはりというか、そこに人間というものの一筋縄ではないところの面白さを感じることができた。

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