歳の暮れに、ハウステンボスの事実上の設計者i氏の住まいを伺った。いよいよ押し迫った12/27日、先方は大掃除の途中、非常識とは百も承知であったが、船頭役の友人の持ち前の図々しさにあやかった。住まいは、ハウステンボスが臨む大村湾に同じく、しかしその対岸の小さな岬に鎮座していた。まずは、この岬の先住民?である恵比寿様に挨拶をすることになっているようで、まずそちらへ回った。恵比寿さんは、海を守る神様としてこういう岬には欠くべからずの存在、それへの敬意がなければこの住まいを訪問することは、叶わぬとでもいうかのように。
i氏はハウステンボスの計画段階から、ここに土地を購入し、構想から完成をここから見守った。ハウステンボスの様相は中世オランダの都市風景であったが、この住まいは、日本の古き良き民家であった。ゆえに、藁葺き屋根、伺った時はいろりに薪がくべられ、室内は燻される瞬間であった。
当初は、陸屋根の筒状空間が2本、互いに直行するという、いうまでもなく現代的なデザイン、それを携えて、地元の大工へ相談したという。計画を見た大工は、自分の代が終わると和小屋組を出来る人間がこの地方に居なくなる、とぼやいた。これを聞いたi氏は、自分が作り上げた図面と模型をすべて棄てた。代わりに考えたのは、木造真壁漆喰の和小屋造り、藁葺き屋根であった。築10年ほどのいわゆる日本の民家。そこから日本的とはいえない、木造のデッキが、静かな内海に向かって伸び伸びと突き出す。
i氏には社長を努めた大組織設計事務所、N設計時代、こんな逸話があるよと、案内してくれた友人が言った。指名コンペかなにかで、機能は環境保全センターかなにかで、琵琶湖畔に突き出すような巨大な計画があった。いよいよプレゼンテーションの直前になって、社長に目を通して貰おうと部下が見せたところ、i氏はその内容に激怒した。「環境保全するための施設が環境を壊しているではないか」第三者的に見れば、こういう矛盾は一目瞭然なのであるが、当事者というのは、案外こういうことをわかっていながら流してしまうのが世の常だ。花より団子、正義よりマンマといったところか。しかし、i氏は、断固としてこの自己矛盾をやり流さなかった。その後、話は見事にブッツブレタとか。
ハウステンボスの本当の存在意義は、オランダの歴史の紹介などではなく、環境との共生なのだということを、竣工当時の記事で読んだなということを思い出す。その詳細は覚えていないが、i氏の今の生活を見ていると、納得しないわけにはいかない。仕事上で構想された理想が、私生活で試されているからである。たわいもない質問の中から、ひょんと出てきた言葉が1フレーズ残る。「現代社会の人間と自然の関係はあきらかにおかしい、殆どの人間はそれに自覚がなく生きていると思います。なんとなくおかしいなと思っているような人が、ここにくるのだと思います」
友人からもう一つ、i氏のエピソードをもう一つ聞く。「彼が、こういう生活をしているのは、大組織を先導し、大きな開発や大きなビルの建設に荷担してきたことの罪滅ぼしだと言っていました。」
大きなビルが環境破壊のやり玉に挙げられるイメージは、自分にはあまりこみ上げないが、少なくとも、i氏が、そういう人間の自然に対する優位的、強位的な営みに対して、人並み外れた憂いを抱いていることだけは、よくわかった。そして説得力の源は、彼が、かつての自己行為を自己否定をすることによって次の世代に伝えようとしているところにある。
2010. 1. 3