一地方都市で、建築デザインを生業にしていると、リージョナリズム(地域主義)とか、ローカリティー(地域性)というワードを手がかりに、都会VS田舎なる構図の議論が吹きかけられる。そういう風に抱かれることによって、却って自分は地方に住んでいるのだということを他人事のように実感したりもする。
そもそも、自分がこの一地方都市にUターンしてきたのは、たいした画策もなく、只単に、修行生活に終止符をうちたかったその時の希望に対して、「オマエは田舎で独立した方がいい」の師匠の一言に素直に従ったにすぎない。独立することと田舎に住むことの結びつきは事前に考えられていたのではなく、その瞬間、突然に組み合わせられたのである。
政治~経済~文化に至り、地方が中央集権から独立したいのは、子供が親から自立したくなるのと同じように、極々自然な成り行きであって、そこを疑う必要はないだろう。また人は、他人に対しても、モノに対してもそうであるように、訪れる場所に対しても、その唯一性や個性を見つける楽しみを持っている。言うまでもなく場所の個性は観光そのものであり、その経済原理は、それを育てる手段としての地域デザイン学なるものを育てようとする。学問的には、既往の都市工学や都市計画といった都市を考えていた頭脳が地域をも考えるようになっていった。そこでは、かつて都市工学が目指していた機能主義などの普遍的な要素は対置され、地域独自の文脈をどう読み解き、どう計画に結びつけるかという個別解のようなもの、あわよくば独自のカタチのようなものが前提として探られる。こういう反・中心主義的な意識をもって、建築を考えていく態度を、建築批評家ケネスフランプトンは「批判的」地域主義といった。均一化や平準化に向かうあらゆる文化、経済、政治的なもの、例えばマクドナルドのようなものに対して批判的な視点を持つことによって見えてくるカタチ(建築)がある、と問題提起された。1983年のころである。
批判的地域主義の建築は、こういう要素を持っていると明言されている。
1.大きな計画よりも小さな計画を選ぶ
2.独立したオブジェとしての建物を強調するのではなく、敷地に建てられた構造物によって規定される領域を強調する建築である。
3.環境に対する脈絡のない挿話ではなく、構築的な事実としての建築である。
4.敷地に固有な諸要因を必ず強調している。(空調装置等を最大限に使用する「普遍的文明」と対立する。)
5.視覚的なものと同様に触覚的なものに力点を置く。(経験を情報で置き換えようというメディア全盛時代の流行に反対する)
6.地域に根ざした「世界文化」という逆説の創造に向かおうとする。
7.普遍的文明を最大限に発揮させようとする推進力から何とかして免れている文化同士の間隙において、勢力を伸ばそうとする。
(本文より抜粋)
モダニズム、国際様式が捨象していった要素が入念に拾い集められたように思える。もっとも、モダニズム黎明期のガウディにしても全盛期のアアルト、コルビジェにしても、その他多くのモダニスト達が国際様式化へ向かうどころか、各地域の土着性をその中にむき出していったことは、フランプトン自身が語り尽くしている。そして当時より今は、モダニズムという言葉は薄らいだけれども、その根底的な力としてのグローバリゼーションの進行は著しいわけで、その腕力があらゆる事物を主流と傍流とに分離していく中で、私たちは一方の傍流である地域がどうあるべきかの答えを何処からともなく迫られているのである。言い方を変えれば、グローバリゼーションの程に比例して反グローバリゼーションへの欲求は盛んであるということになる。しかし、そのようにして起こる現代のリージョナリズムやローカリズムは、モダニズム期におけるそれへの「哀惜」とはもはや異質な哀惜ではないだろうか。かつては観えていた土着的なるものが観えにくいものになってしまった今、地方の、もしくは風土のカタチは得てして空想的であり、まるで絵本やおとぎ話のようである。根深い「哀惜」が表現するものより、実感のない「哀惜」による脳天気な空想の方が多くの人々の心をつかむようになる。結局それは観光資源としてわかりやすい目印なのだということであり、実際にも案外重宝され、俗化してしまう。一方ではそんな似非地方主義とは無関係に、グローバリズムが力学をもってしてムラ模様の地理学を一色に染め拡げようとする。こうして都市で起こるグローバルなデザイン潮流と地域の某との間で微妙に揺れ動くカタチ、いわば両極が干渉してできるカタチは、デザイン的な意味においての隙間産業となる。この隙間の質をきちんと埋め合わせるためには「哀惜」の質を考えなくてはならないかもしない、などと思ったりもしている。