建築学会+構造家協会の主催で昨年開催されたアーキニアリング展、その九州巡回展の準備に関わっている。学会員でもなく、構造家協会の会員でもない自分が関わっている訳は、昨年の東京展を見て、単純にこういう展覧会が田舎で行われるといいのにということを関係者に漏らしたことに始まる。実は全国巡回展の予定があるからこちらに来なさい、と先輩K先生に連れられて学会長の所へ、そしてそのまま即人員配置となった。今日は、自分が担当するチラシの最終確認のために会場で九大のY先生と会う。そこで、全然別の話、思わぬ話を聞いた。吉阪隆正の描くドローイングは、実は、努力して得られたものであるということ。ある時学生の吉阪は、当時の早稲田の先生であった、今和次郎と今井兼次の両方から口々に、オマエは絵がヘタクソだ、と言われた。それに奮起した吉阪は、毎日必ず絵を3枚描くことを自分に強いた。3ヶ月ほどすると、描きたいものがハッキリ実感できるようになり、なんとなく自然に手がうごくようになった。うまく描こうという感覚も薄らいで、単純に楽しめるようになった。1年もすると、吉阪にとって絵は自らの言葉そのもの、もしくは脳内そのものになっていった。九大Y先生は吉阪隆正の門下であったから、こういう話はいくらでもあるのかもしれないが、その中でもかなり重要なエピソードを伺うことができたように思った。今、我々が目にできるあの無数のドローイングは、今(コン)、今井という言わずもがな2大巨人のキビシイ目により育まれたこと、苦手克服のためのカゲ練を自らの意志で実行した吉阪の執念の上に成立していたことに、求道の普遍を感じた。繰り返し繰り返し同じことを行うことによってその「みち」ができあがる。いつものことながら、なにかを会得していく「みち」とはかくも単純でわかりやすい。しかし、思いの外そこを行くか否かが凡非凡の分かれ道となっている。チラシ一枚を介した意味深い打合せであった。
2009. 4. 12