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2008. 9. 14

第49(日)吉阪さんへ-1

吉阪隆正(1917-1980)を少しずつ紐解いている。建築家、登山家、国際交流人、そして、早稲田大学教授(=教育者)。私はここの門をくぐっておきながら、他界された時点で、自分はまだ近所の小学校で鼻を垂れていたから、残念ながら吉阪さんの生身を知らない。しかし早稲田には吉阪さんを語り継ぐ先生は多かったし、なによりも吉阪さんのデザインが校風として染み込んでいるような環境でもあったので、一方的な親近感のようなものだけは自然と自分の中に醸し出されていたように思う。そう言えば、大学に入るや否やまず、八王子セミナーハウス(1965/docomomo100選)に連れて行かれた。たくさんの建築が群体として丘陵に散りばめられていて、統一的でない自由な造形はこれからデザインを学ぼうという者にとっての、いわば洗礼水であった。1995年のベネチアビエンナーレ参加時には、ジャルディーニ公園の中にある日本館(1956)の実物とその独自の平面図(オリジナルではなく後の再現)とに付かず離れず、というか、機械室の裏まで隈無くなめ回す幸運を得た。
この春にはデザイン教育に関する研究会にいつのまにか加わっていたこともあり、教育者、学問者としての吉阪さんを見てみようと、ものの書をおそばきながら開き始める。すると吉阪さんの建築ではよくわからなかったこと、というよりバックボーンのようなものが、これらをとおしてすこしずつ見えてきた。吉阪さんの脳中にあったものは言葉として残っている。必ずしも体系的でない部分は思想になる前に、語録となる。論理的な体系ではないから、生身の人間としての魅力のようなものが伝わってくる。
「頭がふさふさしている。これがだんだん毛が薄くなって最後には禿頭になる。これが量から質への転化だ」
「固い柿が熟して、触れるとグジャグジャになる。薄い皮なのにそれでもカタチを保っている。だから柿の渋(=いわゆる柿渋)を塗ると紙でも傘になる」
「コミュニケーションというのは、吸う息と吐く息が向かい合えば出来るんです。」
(「吉阪隆正の迷宮」2005toto出版より抜粋)

一方で、学問者としての真摯な取り組みは、例えば「不連続統一体」とか「有形学」というものへ結実している。不連続統一体とは、相反する小さな個が尊重されながらも、大きな全体の調和を保っている、という関係論である。極めて抽象的であるから、国家や共同体の構造にも、都市にも、村にも、一つの建築にも何にでも適用できうる。有形学もまた、広大な抽象論で、「人工的な世界をうまく造るために、あるいはこれをうまく活用するために、今までになかった研究が必要だ。人工化することは、自然の法則に反抗することであるから、思わぬところで大被害を生じないとも限らない。この形、人工的に造られた形について、これをあらしめるための学問が必要なのではないか。」(「有形学へ」1983)

この「有形学へ」という本がくせ者で、「形あらしめる」というところの具体的な提案が基本的には皆無である。その代わりに、いかにこういう学問が必要であるかがひたすら述べられている。例えば人口の爆発的増加が発端となり、貨幣による価値の交換、専門分化、単能化、量産化(工業化)、高密度に住まう都市が発生し、自然から人工環境へ・・・、といった人類の過去の分析=文明論である。だから、吉阪論は概ね「有形学は前書きで終わっている、実行されなかった」と評される。たしかに、吉阪さんは自作の建築を有形学の説明材料にするには至らなかった。壮大な前書きとしての問いを残して、この世を去ったということになる。

それにしても自然環境を代替するという、人工環境のための学問、あるいはドアノブからアーバンデザインまでを貫通する造形、もしくはその理論とは、果たしてどんなものだろう。吉阪さんの脳中にあった未来を想像してみたくなる。

 

 

 

2008/9/7 お休み

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