リノベーションという言葉が、世間一般に浸透して久しいが、それにも及ばぬ小工事、小改築が建築には付きものである。我が住処にもそういうのが、ついて回る。ここはそもそも親に寄生している身、20数年前、住宅メーカーが建てた木造の2Fである。当時は中学校2年生の時の計画であったので、建築のケの時も備わっていない輩にすぎず、当然、構想の傍観者であった。今はもちろん傍観者になりたくてもそうはなれず、住処を見れば見るほどフラストレーションが溜まる厄介な関係である。あげくのはてには、目をつむる時間になってから自宅に脚を踏み入れるという習慣が出来上がった。とはいうものの、メーカー設計者の構想そのままに住まうというほど寛容でないから、住み始めの第一歩の前に、すでに天井や壁を取っ払っていた。問題は目障りな壁天井をはずしただけであったこと、つまりはそのまま小屋組が露出し断熱材のない空間、などというヨソ様のお宅ではできないような荒削りな状態であったから、灼熱と凍結の劣悪環境に甘んじることになった。5~6年そんな有様であったが、いい歳してさすがにそれはないだろうと自戒し、同居人からの他の手入れの依頼も背中を一押しし、重い腰を上げることになった。いや、全く世間一般のいう「大工の安普請」「紺屋の白袴」、「寿司屋のチキンラーメン」でもなんでもいいがそれにスッポリ安住していたということである。
とにかく至上命令である「屋根に断熱材を」という人並みの仕様獲得を大義名分にして、床に杉板30t、高演色LED照明、木造+ガラス床デッキなど、寿司屋が客に食わせるネタをちょっと我が家の食卓に拝借、というようなことであった。ある意味それは非日常であった。仕事としての工事は見積書というのが付きものであるが、ここは小工事、小人でも太っ腹のまねごとができるだろうと、常雇い(掛かった分を後見積で支払う)で着工した。大工工事精算となると、覚悟はあったが、(だいたいがそうであるが)予想よりすこし高い金額が出てきたことによって、脆くも小人ぶりがここで露呈され、最後に締めくくられるはずのガラス床があっというまに保留となった。もちろんそのままでは、階段を上がってから玄関に到達することができないので、杉の足場板を仮に敷いた。犬がその上を安心して歩くようになるまで3日を要した。
こんなようにして、設計者にとっての自宅というのは、紺屋が自分たちの衣などその気になればいつでも染められるというような心境が造っていくという、利点とも難点ともつかぬ特徴がある。場合によっては、最後まで白袴であってもいっこうに構わない、と思いつつ、えっちらおっちらといじっていく。生活者の密かな楽しみのようなものが、とりわけて感動的というものではないにしても、場合によってはイヤミとかケレンミのない家を造っていく、という代物である。
2008. 8. 31