工務店の社長との談話の中で、その一言の残響が今日まで響いている。
「親父の時代はゆったりしていた。」
人件費はもちろん今より安かったけれども、生活はむしろゆったりしていた、という。もちろん普通に食べていけた。
「村の長老」的この類いの発言は、上記に限らない。例えば、家一軒を建てようと思い立つと、まず材木屋に足を運び、そこで、一軒分を建てるための丸太を買ったものだ、などと。いわゆる旦那衆の普請道楽である。その丸太は2~3年寝かしてから、ようやく切り込み作業にかかる。軸組が建ったかと思うと、そこでまた数ヶ月~場合によっては数年「素建て」というフレームの状態で木材変形を落ち着かせる。昔の壁は木舞+泥壁と決まっていたから、荒壁(土壁)を塗ったら硬化のために再び放置された。そんな感じでえっちらおっちらと、家は造られた。
もちろん、かつての建築がすべてこのように呑気であったかというと例外は無数にある。例えば、これはいきなり城郭になるが、白鷺(はくろ)城といわれる姫路城は、大天守と小天守の部分に限っては2年そこそこで造り上げられた、法隆寺に並ぶ日本最初の世界遺産は恐ろしい突貫工事の賜物であった。だが、そのような話をいくつ挙げても、総量としての家造り、そして人間の生活全体を司る時計は、やはり今より針の動きが遅かった。
世界には、息の長い建築行為がたくさんある。やはりのサグラダファミリア聖堂。ガウディーは1882~亡くなる1926年迄これのみに専念したが、その後も今に至り建築が続いていることは、有名である。南フランスのかの有名なル・トロネ修道院は50年。ニューヨークへ渡る鉄のハープと云われるブルックリン橋(世界初の鋼製ワイヤーを用いた吊り橋)は、親子2代とその妻によって14年かけて完成させた。(ちなみに瀬戸大橋は9年強)親子というと、(これはあまり有名でないが)デンマークコペンハーゲンにあるグルントビー教会という白レンガだけで造った教会も、画家とその息子によって27年をかけて端正に構築された。オーストラリアというとコアラが先かシドニーオペラハウスが先かというほどのその有名建築は、1955年に基本設計~1973年竣工という難設計、難工事であった。(工期を10年もオーバーしてしまい、途中、建築家ウッツオンは解任された。)否、前近代を見渡せば、タイムスパンの長いものがゴロゴロある。思い出す範囲でいうなら、インドのアジャンター石窟群は馬蹄形の渓谷に大小30の寺院が前1世紀から後6世紀の700年以上をかけて出来上がった(出来上がりの途中のまま)ものである。お隣のエローラ石窟群は5~10世紀に渡り、しかも仏教~ヒンドゥー~ジャイナ教と時代の宗教を超えての構成を今に伝えている。世界最大の構築物、万里の長城のおおかたは、明時代(1368年 – 1644年)のものであるが、その建設の始まりは秦の始皇帝時代に遡るからおよそ2000年の営為である。
建築は、よく地図に残る、とか死後に残るなどと云われる行為であるが、作者の方から見るならば、その一作に人生を捧げうる可能性を持った行為「であった」と言える。現代はその一件をライフワークとすることなどは希有の事態である。設計者も施工者もたくさんの数の仕事をこなすことによって、ようやくその全体がライフワークと言えるかどうかである。かつての、人生を奪ってしまうような建築行為は、技術の進歩、時間感覚の小スパン化、貨幣経済の発展その他、つまるところ「時計の針」が速まることによって、基本的には現在から消えた。「ローマは一日にして成らず」の時代から、「ドバイや上海は一日で出来まっせ」の時代である。
一億総自転車操業。
環境問題を考えるとは、多かれ少なかれ、人間の進歩を疑うことである。人間を取り巻く「環境」の中には目に見えない、触れることのできない「時間」も含まれる。その時間感覚、『時計の針』が、やはり明らかに以前よりも速いということである。その速まりによって我々は何かを得ているだろうか。生活は時間的ゆとりを生んだか?資産的な余裕を作り出したか?心身の平穏を得たのか?ごく卑近な利便性への追求心は、大局的な人間の幸福につながっているだろうか?
ミヒャエルエンデ「モモ」を再び本棚から引きずり出すことになる一言であった。