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2008. 7. 6

第41(日) 先導者、孫悟空

そういえば「世田谷美術館で、来年個展をやるから」と一年前に一言。取りかかりからはや一年、美術館のメインフロアを埋め尽くす物量が準備された。学生のころに足を運んだ、群馬県立美術館での磯崎新氏還暦の回顧展。物量その他、周到な展示計画、秀逸な木製模型の数々、相当なものであったことを記憶するが、中身は基本的に回顧展、既に建った作品であった。対して石山修武は、これから実現していくプロジェクトの提案をメインに据えていた。私の在籍時に関わった、代々木の GAギャラリーでの個展の時もそうであった。終わったものへのあっけらかんとした無関心、かわりに見たことのないモノに対する強い創造心。その未来というのも、おびただしい量のスケッチや添えられた詩文に「遠い未来」が深く埋蔵されているということがあっても、立体に結実しているものを見ていると、力点はそんなに遠くない未来、現在にほど近い未来にあるのではないかという印象を受けた。
早稲田が輩出した村野藤吾(1891-1984)は「現在主義者」と宣言し、過去の様式や未来の皮算用lから自由になって、建築をあくまで現在のものとして考えようとした。同じく吉阪隆正(1917-1980)は新宿の百人町にて自邸を建てた。そして屋根で野菜を育てた。また、建築家であるとともに教育者として生きた。もっというなら建築家という範疇を窮屈と感じ、全人格として生きようとした。時間の縦軸ではなく横軸を見渡そうという脈歴が、見えてくる。

研究室を退職してちょうどこの夏で10年になる。1000km離れた僻地から我が出生を見つめる。自分がどういうところで学んだのか、つまりはどういう限定を持っているのか、少しずつ客観的に捉えられるようになってきた。また、建築のデザインというのが、社会にとってどんな、もしくはどれほどの意味があるのかという素朴な疑問が、実は学生以来からの疑問として少しずつ自覚症状を帯びてきた。それをのり超える道筋の一つは、やはり作り手の意思の程ではないかと思っている。作りたいから作る、というのならば、既に総論として社会に認められているわけだが、それが各論としても了解されうるためには、その意思が強くある必要があり、そして実行される=口先だけではなく実体として結実する、ということである。俗にセンスというのは、これは筆授ができないから、行間にしか記せない。言葉として明解なのはやはり「意思とその実行」でしかない。その意思というのはどこから生まれるのだろうか。そういうのが錠剤にでもなっているなら、今日の昼食後にも服用したい。

それにしても、圧倒的なエネルギーを見せつけられた。世間では定年と言われる歳の人だということで、(質はまだしも)そろそろ量(密度)においては師を超えたいものだという生意気の鼻っ柱は、ポキっという音すら鳴らないまま、ヘシ折られた。言葉ではなく行動にて今だ先導を受けていることは、この私にもわかった。

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