子供の頃、クラウンライターライオンズの試合を見に今は無き平和台球場に2回程行ったが、眩きプロの試合であるにもかかわらず、見ているより自分が野球している方が楽しいと思った。大学時代の早慶戦などは、人を応援する遺伝子を自分が持ち合わせていないことにハッキリと自覚する催し物であった。ガラス越しに年越し蕎麦を打つ職人を見ては、自分もやってみようと、思いたってしまう。自分は傍観するというのが苦手である。
今週から来週にかけて、左官工事の現場に入り浸っている。左官の壁はいつもながら、お好み焼きと一緒で、作るたびに新しい工夫をしてみたくなる。そうなると、現場から目を離せなくなる。結局、職人さんとああでもないこうでもないと言葉で伝達していることにじれったさを感じるようになり、いつのまにか、仕上げの時は「マイコテ」持参の輩となってしまう。設計者として現場に居る時のなんともいえない手持ち無沙汰は、思えば左官工事のみならず、大工や塗装、などの各職種に対しても分け隔てなく働く。なにかの職人に扮して現場に常駐できることが、自分には最も心地よいということに気づいていながら、設計者として俯瞰せねばと、理屈で説き伏せている節がある。設計者は実行犯ではなくて黒幕でなくてはならないはずだが。
そもそも建築家という職業は、ルネッサンス期に、近代的な個人主義の確立と共に成立していったと言われている。ルネッサンスの建築家といえば、ブルネッレスキ、アルベルティー、ミケランジェロの三強が挙げられる。もちろん今に言う専業の建築家という枠組みに誰も当てはまらない。ブルネッレスキは彫刻家でもあったし、ミケランジェロも彫刻家であることが有名だし、同時に画家、詩人でもあった。アルベルティに至っては、劇作家、法王庁書記、美術理論家の経歴を持ちながらの建築家、同理論家であった。「家政論」「絵画論」「彫刻論」を著している。今日的な視点からすると、これほどの領域横断は容易ではないと、のけぞり気味ではあるが、本来建築とはそのような人間にまつわる用や美の雑学を集積したところから生まれるものであるということを改めて感じさせてくれる。建築学、というカテゴリーは本来的に独立独歩の学問ではない=虚学の側面を持っている。
ところで、そのアルベルティーはモノの書によると、初めて設計と施工を分離させた人、ということになっている。それまでは、設計者が直接現場監督であり、つまりはお金の監理も行い、工事の主体者でもあったのが、それをあっさり他人に依頼することにした、のである。それが今の常識に繋がっていると考えると、実にたわいもない、常識のように見えてくる。少なくとも言えるのは、設計と施工を分離したのは、一流の学者でもあった建築家の都合であったということである。
つまりは、設計者が施工を依頼する原点は、理論の構築~実践者という側面の重視によるものである。そう考えると、今の常識はもうすこし自由に考えてもいいのかもしれない。理論だけを構築しているわけではないとすれば、である。