深々と冷えるなら、風呂屋にでもいって本でも読み耽ろうと思ったが、美しく晴れたので、犬の散歩に出かけることにした。気温が上がったので、いつになく魔法瓶にコーヒーを詰めて、僅かに雑木林で休息、こんな日があるものかと。少しは働けと思い、gooday(地場のホームセンター)の屋上駐車場に車を移して、車磨きをする。晴れた日は薄暗い車庫ではなく、広々と日を浴びながらボロ車に光沢を被せるのもいい。いつも買い物をするgooday長尾店だ、といくらいったところで、そのまま帰るのは営利企業に対して失礼かと思い、下って商品棚を物色する。女性がウィンドーショッピングを楽しめるように、自分はホームセンターで1~2時間ほどの時間をつぶすことができる。趣味欄を埋める数少ない要素かもしれない。ホームセンターはしかし、(自己弁護だが)発見の連続である。洗剤を付けなくてもいい食器洗いスポンジとか、退色した畳を青畳に復帰する塗料とか、1万円台のカラー液晶インターホンセットとか、いわゆるテクノロジーの先端、厳密には商品化されるに至った先端がここにある。そういう意味では日経新聞の新製品コーナーを実物で閲覧している感覚と同じである。と同時に、主婦がマーケットに並んだ食材を見ながら献立を決めるように、いろんな建材や素材を見ながら、これを繕う、あれを作ろう、これを用いたらあの現場にいいかもしれない、と思い描く。人が生きる環境は常に修復や手入れの連続であるにもかかわらず、とかく普段は課せられた責務に脳裏は占領されていて、その一つ一つの不便な瞬間は過ぎてしまえばなかなか思い出すことができないものだ。しかし、ここ(ホームセンター)にくると当に生活環境整備に旺盛な営繕部長に変身することができる。私目に限っては仕事上の知識としても役に立つことになるが、本来的にそのためにやっているというのでもない。
それほどまでにホームセンターは家作りの総合力を身につけてきたということでもある。見本は米国だろう。あちら(上海もそういえばそうだった)のホームセンターは、もっと巨大で、家が数件立てられるだけの建材その他設備部材が全て備蓄されている。プロが用いる流通経路のオルタナティブである。素人が行くと、あなたに意欲があるなら素材は全てここにある、と暗に示されているように山積みされている。家を建てるための基本的な素材はすでに実物によっても開架書庫に並んでいる時代(の到来というべきか、すでにというべきか)、我々設計業の現代における役割というものは益々ピンポイントに追い込まれていることが、(見ようによっては)あぶり出されている場所である。
2008. 2. 10