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2008. 2. 3

第25(日)利害と理念

今年の授業が漸く終わった。母校での最後は、課題地となっている調布市にて、一般の人々を交えての公開講評会となった。東大との合同課題という試みと、市長と市民への提案という試みが組み合わされた、通常の学内授業を遙かに超えた大盛りの仕掛けであった。デザイン教育における競争原理の明確化は、学生はもちろんであったが、教える側への重圧であり、刺激であり、また収穫であった。ナーナーでことを済ませていく教育の日常とは打ってかわって、そこには常に摩擦があったといえる。摩擦は人的エネルギーと模型材料と時間を消費した。そしてその半期の摩擦の結集として、講評会は公開された。内容は京王線地下路線化に伴う駅前空地の利用計画。公共的、都市的提案に値するということで、当然のことながら、市民レベルでの議論、民間委託による考察が先行していた。難波和彦氏の進行の下、講評者は最前列に並んでいた両大学を併せて30名前後の先生方を差し置いて、これら一般の参加者にゆだねられた。私たちは、学生と市民の間に発生した摩擦をしばし傍観する側に立たされたのである。
「スロープは長すぎて車いすの人には酷ではないか」
「地下水は防災時に使うなども考えられるべきではないか」
「自転車道路はどのような構造なのか」
「構造的な合理性からいえば、直方体の方がいいのではないか」
「段差のない施設にして欲しい」

預けられたマイクは、プロとしての講評者に戻るヒマもなく、市民の声を拾い続けた。一方がお高く留まったプレゼンの場ではなく、市民が能動的に参加する都市作りを垣間見た気がした。

だが、学生たちがとりくんできたことと市民の声の間に発生したのは摩擦ではなく、すれ違いではなかったか。学生は建築を提案しようとした。市民はそれを建物として捉えたことによって不備を感じた。建築と建物が似て非なる概念であるから、学生と市民はすれ違った。「受容的に学生の考えを聞いてみてください」との石山修武氏の冒頭は、このすれ違いを予告していたことになる。

誰かが、この事態を整理しないといけないだろう、自分だったらどう伝えるだろう、と頭を掻いている内に鈴木博之氏がこの場そのものを締めくくった。
「利害と理念」
建物と建築の違いが、簡明な一言句に置き換えられた。
今日の提案者(学生)と講評者(市民)のすれ違いを明確に、いやそれだけでなく、双方に対して、互いの欠如を指摘する意味深い言葉となったに違いない。

 

 

 

2008/1/27  公開講評会へ出席のため調布市へ

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