かつて、建築設計業は、明らかに長時間の労働スタイルであったし、おそらく今もそうだ。自身は、大学の研究室の個人助手として、朝10:00始業、夜は終電近く(中央線は朝の1時近くまであった)まで、というのが、月~金までだった。このウィークデーは、仕事している時間以外は、ご飯を食べているか風呂に入っているか、(+通勤か)しかしていないイメージだ。かろうじて土曜日は、週休二日制の黎明期に伴い、表向きは休日扱いだった。コン詰まっていない時は、午後に出勤して、夕方18時ぐらいに上がる、という具合であった。でも今日でも土曜祝日は現場が動く業界だから、当時はなおさら、祝日返上は日常的だった。
九十年代を終えてミレニアムを迎えてからは、社会は一気に完全週休二日制が当たり前となり、反対に、夜中までやっているやつは仕事ができないやつのレッテルが貼られるようになっていった。起きている時間=就業時間、というようなコン詰め型の仕事の仕方は、美徳から一転嫌悪されるようなパラダイムシフトである。海外の著名なあの建築家の事務所も20時には明かりが消えている、などという噂話が海を越え山を越え、妙な説得力を持って、我が身を顧みることになっていった。
こうしてこの二十年で、就労時間の感覚、というものが、ガラッと変わった。単純に、昔よりも、働く時間が短くなったということだが、単純に生産量が減ったとは言い難い。手書きとCADの両方で実施図面を引いてきた設計実務者(おそらく50歳以上?)ならわかるはずだが、手書きよりもCADの方が、はるかに図面を描くスピードは早い。手書きは、あとでは変更しようもないから、どの縮尺でどのトリミングで描くか、最初の描き始めの一時間ぐらいは、補助線と向き合う時間を要した。既に描かれたものを変更するのも、CADのスピードに手書きは追いつきようもない。別の見方からすれば、CADは、自らの持っているポテンシャルを引き出そうと、人をも機械のような生産性へと駆り立てる、物言わぬペースメーカーのようである。
手書きの時代は、現場に行く前日や、図面提出の期日の数日前は、複数の人間で、夜を徹して修正作業をした。片道で半日かかるような遠方の現場の前日は、貴重な現場日となるから、作業は盛り沢山で、始発を待つ数時間は研究室の床上でごろ寝になった。RC床にPタイル直張りの硬くて冷たい床を今も背中が覚えている。このような、どうやっても終わらない現場前の図面修正、という「諦めのセレモニー的夜」は、いつのまにか設計現場からは消えた。(と思う)
第206(日)金峯山寺と修行僧1と第207(日)その2で、書き忘れていたことがあった。そもそも、お釈迦様は、苦行を否定されたはすなのに、なぜ苦行を求めるのか?という質問に対して、吉野で千日回峰行を達成した塩沼阿闍梨はこう答える。「おそらく、お釈迦様は苦行という行為を全否定されたのではなく、苦行そのものが目的となった苦行を否定されたのだろう」
10年に1人という偉業であるからこそ、千日回峰行の達成には落とし穴があって、心理的な慢心がつきまとう。それは、行者として本末転倒なのだという。懸命な行者は行から(精神的に)離れる必要がある、らしい。行への所定の執念があるから、行に取り組めるのだが、その執念は放り投げなさい、というのである。
こういうところが、難しい。もしかしたら、懸命な図面描きは、図面を描いている時間、あるいは机に座っている時間をカウントすべきでではない、ということになるだろうか。結果的に時間が経過しているのであって、時間の経過を目標にしてはならない、のだ。
通常の私たち凡人にとっては、行者の偉業など話の下敷きにはできない、と考えがちである。しかし、阿闍梨は、ピシャリと釘をさしている。そういう分別知に対して、本の腰巻に「日常生活こそが行である」と刻印してある。百日、千日回峰行、四無行、とステップアップする金峯山寺の苦行ぶりは、私たちには到底なし得ない類のものではあるけれども、私たちも、レベルを変えて、日常は、苦行の類、もしくは苦行の域に通じる行と考えられるのだという。
彼が苦行の道を歩んだ中心的な時期は、20~30代前半のようである。年齢としては私の一歳上で、私の苦い修行時代と同じ頃の出来事だったとわかる。あの頃の生活は懐かしいが、同じようなことを今の50代中盤でできるかというと、物理的に難しいだろう。その人にとっての苦行の類は、やはり20~30歳前半あたりを逃すと難しいのだと思う。「修行」は死ぬまで行えるが、「苦行」は、その時でなければならない。
夜の20時にまだ頑張っているやつはアホだ、みたいな雰囲気や世論は、その人のポテンシャルを奪う風習とも言える。時間制限を設けて、集中力を必然にして、結果のクオリティーを上げる、という見込みは間違いではないと思うが、それは、平均的な仕事人を基準にした、画一的な組織をつくるだけである。(組織論とはそういうもの)
とある建設会社の支社長と話していて、うちは会社が19時に消灯で、若くて頑張り屋の社員が居るのに育ちが悪い、と嘆いていた。当の若手も、もうちょっと働ける時間が欲しい、と嘆願するという。別の組織設計会社の支社長も、やる気のある部下から、夜働いてはだめかと10年ぐらい言われ続けている、という。
20時を過ぎてしまう理由は各人様々だろう。残業時間を競うというようなことは、戒める必要はあるだろうが、努力を惜しまない人間の20時とは、仕分けしなければならないだろう。また、20時に終わるように、仕事の質量を調整する、という器用さも、仕事人としては優秀なのだろうが、それだけだと、クリエイターとしては、なにか足りないような気がする。いずれにしても、働く時間の制限には功罪が等しくあるようだ。