札幌のモエレ公園が盛況だという。イサムノグチが世を去る年、1988年の5月~11月に基本設計を行ったものだ。ゴミ処理場の跡地に彫刻的な地形が造成され、彼のデザインした遊具がおよそ120基点在している。見所というのは人それぞれだろうが、最も一般的な人気は、「海の噴水」である。40分かけて、霧状の水、打ち上げられる水、大波の水といった、水で表現されるあらゆる造形が現れては消える。このプログラムの詳細までイサムノグチがデザインしたというのではなく、実施設計者がマイアミのベイフロントパークのものを模したという。リカルドリゴレッタ設計のホテルカミーノリアル(メキシコシティー/1968)で同様のものを見たときの新鮮な感動によって、個人的には辛うじてこの噴水を疑似体験させてくれる。
話は飛ぶようだが、今年オープンした防衛庁跡地の再開発東京ミッドタウンにも、各所に水と光の造形意匠が施されていた。ガラスの屋根に水が流され、そこから透過してくる光が動く陰影となって地下に光をもたらす。思わず立ち止まる。その他各所に水と光、共通するのはすべてが動いているということ。考えを走らせれば、動く光という意味では、なにも風光明媚な繁華街に限らず、店舗や住宅の別を問わず、町中に点在し、点滅していることに気付く。LEDと点滅装置の量産化により装飾化した人工照明は、もはや日常の光である。
年間200万人以上の来訪者を呼ぶ門司港レトロ。街の見所の一つに「ブルーウィング」という跳ね橋がある。港を回遊するための人間の動線である。第一船だまりに入港する船の動線と交差するということで、それらが往来する度にアナウンスが流れ、橋はつり上げられ、真っ二つに分かれて八の時にそり上がる。船の動線を温存するというより、橋が動くということが街のアトラクションとなっていることの意義深さを感じる。
私たちは明らかに動かぬものより動くモノに反応するという自らの習性を利用し、利用されている。そういった意味では、私たちはいくつになっても、赤ちゃんの関心を釘付けにするベビーメリー(くるくる回る玩具)の原理をいつまでも持ち続けているのかもしれない。動かない建築、動くものを引っ付けていない建築が、いつかは大衆の関心から除外されるという老婆心が芽生えなくもない。そういう風に一歩引いて見ると、すこし滑稽な人とモノとの関係である。
2007/12/16 原稿2本書いて腕しびれる。