桧山タミ先生、ありがとう。
なんだか、まるでお別れのようだが、この展覧会を昨日、所用の合間に見てきて、少し眼球をにじませながら、素直にそう思った。先生とは、20年弱前、早稲田バウハウススクールin佐賀で出会った、久留米の江頭さんに、大手門のキッチンスタジオに連れて行ってもらったのが最初だ。そこでそのまま素直に衝撃を受けた。何にかというと、「モノを作る時に、人間の心が少なからず関与している」ことに確信を持っておられたこと。なんとなくそれはそうだろう、というレベルでは、何人も了解されていることではある。あるいは、そんな精神論、ということで敬遠されるものでもある。そんな中、先生の料理教室では、その人の料理を食べると、あなた!朝夫婦喧嘩してきたでしょ、とか今日は風邪ひいているでしょ、とか、そういう言葉が飛び交うという。そんな非合理な料理教室がここにある、ということを発見して、その時なぜか心が弾んだ。(自分が料理をそこで学ぼうということではないのだが)
先生のキッチンスタジオは時折見ていたはずだが、今回の展覧会で改めて再現(移設)された箇所をみて、一つ、気づいた。自分がいっしょに建築を作る仲間である左官の原田さんや、大工の山下さん、そして鉄の中西さんの工場を見ている時の感覚と、どこか同じものを感じたのだ。それはなぜだろう、と理屈で考える。皆、一生懸命に素材と向き合って、今日より明日、明日より、と貪欲なまでの探究心、あるいは遊びの止まらぬ子供のような作り手であるのがまず一つ。しかし、でありながら、同時に言葉を紡いでいる。言葉は、自己の造作物をよりよくするために他ならないが、いつのまにか、人々に染み拡がっていくものになっている。ものづくりのノウハウレベルから始まるが、そこを超えた、人間や自然に関わる普遍的な言葉が、素材を睨み続けながら、あくまで作ることを介して、生まれてくる。
そして、そのような探求の魂は、必ず工場内のあらゆる物品を増やし続ける。整理しなければ、ただのゴミ屋敷の主人だが、そこは、きちんと整理する、ギリギリセーフで他人が見て愉しげな工場となる。確かに彼らは、モノに向き合いながら、心を用いてモノを作っている。どこもここも、先生と一緒なのだ。
私はこんなふうに、作ることと考えることを同時にしている人に、目が無いのかもしれない。ただ、言われたものを作るのでもなく、人が作っているのを評論しているだけでもなく、両方を並行してやっている人。前二者の立場は、もちろん世の中の各所に必要であるから、否定するものはない。だが、自分は、「両方の人」に出会うと、それはもう何を作っているかに関わらず、無条件に惹き寄せられるのである。
先生は、もうキッチンスタジオは畳まれたから、本人から発せられるものはなくなったということになる。業界が違うのに、なぜか寂しい。料理の方々にとっては、レシピの保存や公開、実行や展開が課題であり、意義深いものであるのかもしれない。一方で、レシピそのものに関わりがない人間にとっても、先生の語録は、まごうごとなき普遍的な響きをもっている。(第126日)だから、毎日数百、あるいは千人を超える人々が、来場しているのかもしれない。
料理を通して、人となる道を説かれた尊い人生が、建築を作る我が身を奮い立たせる。