久しぶりにいい旅をしたので、記録。旅といっても、悠々自適の一人旅の雰囲気ではなく、家族旅行。家族のためでもあるが、行き先は自分の仕事の関心の矛先にあるもの、小値賀島の古民家ステイ。まずは、ここが目的。東洋文化研究者alex kerr氏の監修による古民家ステイを柱とした農山漁村の再生から早10年。九州在住なら近場の類いということで、遅ればせながら、脚を運ぶ。
福岡から佐世保まで車で2時間、そこからフェリーに乗って3時間。自分は基本山の人間だと自覚していたが、ここまで暑いと何処でもいいから都市熱から逃れたいの一心で、おもむろに海を選ぶ。12年前に仕事で対馬を往復した時より、比較的静かな波。平戸や野崎島を見やりながら、最も平べったい小値賀島に到着する。島である以上漁業が中心であるのは自然であるが、やはり農業も必要だから、より平べったい島により安定した生活圏が生まれる地理がなんとなく海上からの目線によっても伝わってくる。
フェリーを下りるとすぐに小値賀アイランドツーリズムの担当の方の出迎えを受ける。今から目的の古民家へ車で誘導してくれるとのこと。別だてでレンタカーをお願いした叔母ちゃんに3日分の8千円を道ばたで払って、そのまま乗り込む。普通のレンタカーのようにカウンターもなければ、免許証の提示やコピーもない。ましてや、事故の際の保険とか、免責のこととか、現状の傷の確認などもない。だから8千円/3日。まずはここに驚いた。契約社会とは、かのメソポタミア文明が始まりだったと聞いたことがあるが、彼の地は多民族社会、他人とは抜き差しならぬという地理的環境があの楔文字=契約書を生み出したことを考えると、きっとこの島はその正反対の社会の類いなのだろう。ちょっと海を渡るだけで、こういう大きな発見がある。
島のツーリズムが運営する古民家は6件あり、大きくは二地域に分かれて点在している。今回は港から離れた柳郷地区の2カ所を2泊で別々に味わう。火成岩の精緻な石垣のアプローチに驚く。沖縄の民家に似ているが、少しこちらはシャープ。築100年を超える名家の類いだが、聞くとこの地域の「親家」と呼ばれた地主クラスの家とのこと。内観は古民家再生の通例に従い、水回りを一新し、床はモルタルの土間、木フローリング。壁はボードで仕上げ直して白の塗装、天井だけおおむね既存を用いている。建具はきちんと木製のものを新調、シングルガラス。全てのエアコンが木製格子の箱に収められていた。吹き出し口としてはロスがあるが、エアコン丸出しの残念感を回避している。また、古民家改修の一般は、土壁へのコンセント、スイッチの電設埋め込みがいつも苦労するところだが、土壁の表現には固執せずに、石膏ボードで再構成して、悠々と電設を張り巡らしていた。ブビンガの天板テーブルなど、家具にも一定のクオリティーが注がれていた。
まあ、これらは設計者としての当たり前の視点で、本命の運営の様子やサービスの方を伺う。最初の下船から、宿までは車で送迎、もしくはレンタカーによる誘導。いわば予約段階から現地滞在最後までを面倒見てくれるコンシェルジュが付いてくれる。藤松という築250年の元酒蔵を用いたレストランは、この古民家ホテルの場外レストランで、そこを予約すれば、客室からの送迎をしてくれる。どの客室からも車で10分。部屋着や歯ブラシなどのアメニティの一部は各自持参。そして料金体系(素泊まりで1.4〜2万円)に反して、以外と思われるものには、夕食はもちろん、朝食もなし。そのかわりに炊飯器やIH、トースター、食器の類い、洗濯機が完備していて自炊ができるようになっている。このあたりは、法律的に農家民宿の類いの旅館業法をクリヤするためのスタイルなのかもしれない。そもそも農水省の補助金である農泊推進事業の先行事例であるからこのあたりの事情ありかと思われる。
夕食や朝食が完全に別であったり、アメニティのいくつかが割愛されていたりというところは、運営側の都合であることには間違いないが、離島僻地の宿泊施設として、稼働率が低くても成り立つためのディテイルかと思われる。翌朝の清掃の方々の仕事ぶりを覗き見したが、やはり古民家は通常の客室より室内外共に圧倒的に広い。だから、清掃も大変なのだが、人員としては、専門業との提携は不要で、島民の方々の副業になっているだろう。提携業者に沢山の仕事を与えて値切る、という体制とおそらく逆のことが起こっている。
また、夕食は当然としても朝食のサービスがない、というのは、頭で考えると手抜きと思いがちだが、案外私自身はこれの方がいいと思った。最近の宿泊所に多く見られる豪華朝食競争のようなものは、出くわすと華やかでいいが、実際は、朝から人間本来の強欲までが起きてきて、食べ過ぎて以降の動きが鈍くなる。また、普通なら「何時から何時までの間になんとかの間に来てください」と拘束されるが、そういうのが一切ないのは、むしろいいものだと思った。宿泊施設としての小さくも微妙な裏切り、これが古民家に泊まるということを巧妙に成立させている要因になっているのではないか、と思った。
宿の話しはここまでにしておいて、野崎島のことを次の日曜日に記したい。