一週間前の月曜日に東大と早稲田の合同授業による最終講評会があった。中間発表ではホームの早稲田、最終はアウェイ戦というわかりやすい交歓試合。私にとってはしかし赤門をくぐること自体が始めてであった。職業病上、柱をコツコツ叩いてみたが、どうやらコンクリートであった。それよりもむしろ、建築学科棟の前の大きな象徴的なイチョウの木に驚き、そしてかねてより噂に聞きし建築学科製図室に驚いた。1935年内田祥三設計によるゴシック、そのロの字プランの空洞にガラスの空間を香山壽夫氏が10年ほどまえに増築したものだと聞いた。4方を学科の研究室が囲み、学生はここで課題に専念することを許されると共に、そのまま学科全体という公然に問われる、という構図となっている。全員が製図室という空間と机に有り付け、常に仲間や先生との議論が彼の仕事を研磨していく。デザインの作業は独りよがりとの戦いでもあるから、その矯正が自然に行われるのである。さらには建築学科の製図室ではあるが、論文発表会や建築系ワークショップなどにも利用され、その場は社会に公開されている。早稲田の学生は、最近でこそ小さな製図室らしきものが設置されてはいるが、基本的には各自の自宅という極めて閉じた世界を作業場とすることが基本となっている。教育環境としてのなにがしかの敗退を感じる瞬間でもあった。
もう一つ、東大との比較の中で明確な違いがある。東大は約50名全員が作品の講評を受けることができるが、早稲田は歴史的に、上位10名程度しかその権利を得ない。一学年200名ということで物理的にできないというのもある。全員講評という公平は、プレゼンテーションというコミュニケーション能力も評価軸に組こまれていて、わかりやすく言うなら、拾い上げようという姿勢である。選抜講評という不公平は、とにもかくにも紙面に現れる初歩的な熱意の程を問われるから、わかりやすく言うなら、そこで切り捨てていく姿勢である。切り捨てると言うと聞こえは悪いが、しかし、社会の構造はこれに近い。言わずもがな早稲田は在野的であると言われるから、それに従っているのだろうか。
とりわけて講評後の早稲田の学生の顔色が印象的であった。彼らのうちの頑張った上位は早稲田建築という途方もないものを背負っていたから、その重圧は計り知れないものであった。その重みにそそのかされて、結果を導き出したのであり、終わるや否やその手応えと共に肩荷が下ろされ、代わりに絵も言えぬ笑顔が現れた。課題が始まって以来、彼らから失われていた人間性がもどったという感だ。上位の連中ほど前後の差は大きく、下位に行くにつれて小さい、というのが見て取れた。競争原理の長短は言い出すときりがない。少なくとも、社会の縮図がとうとう学部学生の世界にも持ち込まれた、という実感があった。
2007/11/18 都心の空の下2。