先日、気になっていた、朝倉の知り合いの2カ所を尋ねた。報道時、被害が大きいということで何度も挙がっていた松末地区。お盆休みに実は一度トライしていたがその時は、通行止めの2ポイントの通過の仕方がわからず、引き返した。今回は、きちんと目的地を伝えての突破であった。途中1カ所のぬかるみがプリウスの脚を奪いそうになったが、その他は一応オンロードであった。
聞いてはいたが、その知り合いの店は、柱と床組を残して、1Fの全てががらんどうになっていた。
夫婦はすぐ後ろの主屋から出てきて、久しぶりの挨拶、というところをすぐさま本題へ。聞けば、濁流が背後の山から突然、壁をぶち抜いて店内へ侵入し、夫婦は腰下までつかり、手の届くところの柱をつかんだまま動けなくなったとのこと。その時身体が流されれば、即ち溺死。生死の境に立っていたことになる。店の正面に流れる乙石川の増水ばかりを気にしていたところ、背後に流れていたチョロチョロの小川が氾濫した。その小川の上流では、3軒の民家が倒壊し、内一軒には、3日後に助けられた方がいたという。築130年の民家を上手に角打ち+小ギャラリーとして営まれていた風景を思い出し、現状を重ねて、まだこの建物いけますよと励ましの某かを言い伝えて退散。
もう一軒の知り合いの料理屋は、その川に沿った1~2キロ下流にあった。すぐ後ろの真砂土の裏山が地滑りを起こし、やはり1Fの店舗の設備を奪ったようだった。本人は不在だったが、あえて主屋を訪ねたりは控え、川沿いの惨状風景に心をゆさぶられながら、車を帰路に沿わせた。朝倉インターの手前、時々昼ご飯や買い物をしていた道の駅の付近に、濁流と流木が襲っていたことを知った。山が迫っている場所でもなく、脇の川はクリークの類いのなだらかさ極まるものであった。私を含めて、普通の人間の感覚として、雨ごときでそのような事態が起こることが想像できるような地形ではなかった。が、実際には起こった。ちょうど当日、このあたりで一晩、車上で前にも後ろにも動けなくなった友人の証言と濁流木の残骸をかみ合わせると、その事実がかろうじて想像できた。
東北の津波の時には、海からの黒い水が建物と人を侵し、今度は茶色い水が山から同様の風景を創り出してしまったようだ。山の噴火、台風や竜巻、そして地震と、あらゆるパターンの大きな自然災害がこの数年の間に繰り返されている。自然をコントロールすることを科学の大きな目的として今日の文明があるはずなのだが、これらはいたちごっこで、自然は人間の進歩を見計らいながら、いともたやすく越えてくる。医療と疾病の類いも同じだろうか。テレビ画面に立つコメンテーターも、ついには自然への「畏れ」が必要なのではないか、の言を発する。日本人が世界に輸出できる民間思想の類い。想定内とか外などは、自然相手に言うことはできない。私たちは本当に、次の瞬間は何も保証されていない。それを土台に敷いた上で、どんな行動を取るか、ということしか出来ない。