今年も、そば粉が送られてきた。友人の勤める会社が運営する実験農場からのものだ。そば粉は生ものと同じ原理でどんどん風味や水分が変化していくから、やはり巷の蕎麦店と同じように旬のものとして、楽しむことになる。日曜日はスタッフを呼び足して云々といわぬようにしているが、新そばを食わすとなると歓迎されぬはずはないと思い、図面にしがみつく者を引っ張り剥がして自宅に呼び寄せる。蕎麦打ちだけば、事務所では行えない。いや、行うことが憚れる。
超我流蕎麦打ちの発端は、学生時代、友人と大晦日を過ごすに当たり、普通に店に行くとか、もしくはストアで購入したものを茹でて食べるなどというのでは面白くない、ということになり、ヒマを利用して、粉から打ってみようということからだった。そこにあった包丁、まな板、ボウル、鍋、そして、近くのストアに並んでいたそば粉によってであった。惨憺たる蕎麦を皆で突き合った。だが、とりあえずやってみよう、という若気の至りはその20年過ぎた今でも断続的ではあるが続いてしまっている。
10人前近くの蕎麦を打つだけで、にわか蕎麦職人は結構ヘトヘトになる。と同時に、生活の糧として同じことをしている職人達のことが思い浮かぶ。やってみてなるほどであるが彼らには脱帽である。これほどまでに単純、単調な作業でありながら、結果が一様ではない、保証されないという営みの最たるものである。かの高名な高橋翁(今は達磨?)の弟子、伊豆の小林さんが言っていたことを思い出す。その日の朝、例えば10個練った玉のできはみんな違う。今日はこれが一番できがいい、と指を指せるのだという。僅かな違いを感じ取る感性、そして取り組む者の追求心こそが、毎日同じ事を続けていくための動力源なのだろう。ウンチクの多すぎる蕎麦店主は頂けないが、でも蕎麦打ちという技術文化そのものが、現代の職能構造からはずれていて興味深い。今は、たくさんの情報を取捨選択し、複雑な演算をし、より短期に、明示可能な成果や新しさを導き出した者がある種の達成者である。社会的要求や期待の成熟と共に、建築の追求も多彩な価値や方法を選べる情報戦のような見え方をしている。常に「外」への意識、交渉である。本来は蕎麦打ちと同じく、本当に重要なものはすこぶる単純で、既にあるものの「内」へと入り込み、そこに広大な海を発見し、トツトツと理想を目指して渡るような道であったと思われる。
2007. 11. 11