お盆休みの期間中、家族旅行のついでに、少し脚を伸ばして、阿蘇神社へ向かった。といっても、熊本大分の地震から3ヶ月が過ぎた今もなお、楼門と拝殿が全壊状態の社殿を通しての参拝となった。
当然のことながら、普通に神社に参拝するような清々しい心持ちで居られるわけがなく、目前の惨状に心を揺さぶられながら、であった。あの時崩れたモノは、むしろ、指一本触れられないまま、まるで事件の検証を待っているかのように、そのままであった。意地悪く解読すれば、寄進を促されている(実際に寄進してしまった!)というふうにも受け止められ、また、別の見方をすれば、地震という出来事を通して、見えない世界から、目に見える私たちの世界への、何らかのメッセージを訴え続ける静止画のようにも思えた。また、今は性急に建て直すばかりが、神に仕える人間側の所作ではない、という姿勢のようなものを伺えた気がした。
震災復興の象徴として扱われ易い熊本城に比して、こちらは、その後の経緯があまり報道されていないことにも改めて気づいた。(だから訪れた)片や、わかりやすい象徴であり、観光資源であり、自他共に認める地域人々にとっての支えでもあり、つまり見える世界。一方こちら(阿蘇神社)は、神道という民間信仰の類いの、基本的には見えない世界。熊本城成立の近代より遙か以前、おそらく古墳時代以前から、阿蘇山を畏れ祀る地方の一豪族、阿蘇氏が司ってきた場所。壮大な歴史がつみかさなっているが、それらは理解しにくい世界、見えない世界。だからこそ建築という形式で表徴し、この見える世界との架け橋を為しているのが社殿ということでもある。その架け橋としての社殿の中でも最も人間側と交接するための楼門と拝殿、この崩落が阿蘇神社で起こっていた。地域の民家たちが思いの外平然と建っている中、その二つの社殿は、まるでなにかを代表するが如く進んで大地に跪いているようでもあった。
壊れているモノがモノであるので、ミステリアスに解読しようとすると、際限がなく、益々共有しにくい想像世界に拘泥しそうになる。一方、物理の世界に立って、社殿を崩落を見ていくと、そこには、ある種自明な部分と、それから、その奥に、別なミステリアスというか、民族の慣習としての根深い建築が見え隠れしていく。屋根だけを残して座屈した姿から、以前の社殿の様子は思い起こすこともできず、思わず地震以前の状態を確認してみたが、やはり、少なくとも楼門については、本来的な弱点を持っていたと思われる。上部構造のボリュームに対して、下部構造の耐震性が、本来的に脆弱な構造であったようであることは、ネット上の写真レベルでも解る程であった。頭でっかちの割に足元がカボソイいという物理学の逆を行くプロポーションが災いしたことになる。
しかし、そんな原理は、古の工人以下、わかりきったことではなかったか。古代以来とは言わないまでも、精神的にはほぼ変わらず、社寺の建築とはそういうもんだ、というある種、高度な楽観で造ってきた。構造的な見地を軽視して、意匠だけを追い求めた、というほど無邪気な取捨選択ではない。むしろ、構造的になんとか持たせたいと思いつつ、しかし、見るからに堅牢だというようなものは面白くない、物理的法則を越えた存在を造ろうと、曖昧で、素朴で、欲張な、欲求に従っていたのではないだろうか。先人のやってきたことに疑わず頑なに従うという保守精神が歴史建築を今に伝えている、というようなよくある説明は、「遠からずも当たらず」であろう。むしろ時代の技術力に照らし合わせて、歴史建築の構造的な欠陥を自覚しつつも、様々な要素を俯瞰しながら限界を目指して設計施工されているモノに変な補強は加えられない、という焦れったさでもって、これら社殿の類いに取り組んできたのが現実ではないだろうか。
国宝と言われる日本建築の修理履歴などを紐解くと、その臨場感がいくばくか解る。わかりやすいのが、宮島の厳島神社である。山を背にして、海の上に建っていることから、海(高潮)から山(土砂災害)から空(台風、雷)から、災難の絶えない建築。「そんなこととはつゆ知らず」と寄進者である平清盛がいうはずもない。そんなことは百も承知で、そこにそんなふうに建てたのだ。本来的な立地条件と建築の造りに屈しながら、がんばって今に伝えられている。
残していきたいことの内容が、おそらく、違うのだ。モノそのものが、堅牢さや、強靱さでもって、存続し続けることに、私たちは、基本的に関心がなかった。関心がなかったわけではないとしたら、最重要視できなかったと言い換えてもいい。取り分けて、宗教的空間の機能に与する建築には、そのことが顕著に現れた。神仏という超絶した世界と交信するための建築なのだから、人間が人間の造るモノとして、人間の世界の限界に挑んだ。現代からすると一部好き者の戯れだと言われかねない行為も、元々の私たちの社会は、それによる支障を小事として黙認し、より大義の中で呑み込んだ。(諏訪大社の御柱祭の死傷者の話も同じ類いだろう)
このあたりが、建築の最も面白いところではないだろうか。「美しければ、壊れてもいい?」というような週刊誌レベルの軽口に陥らずして、いかにこの面白い部分を現代に伝えていくか。もしくは社会の一部に培養していくか。さもなければ、人間そのものが、おおらかさを失い、機械のような脳みそになってしまいそうな勢いである。