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2016. 3. 6

第164(日)小さな循環

三月に入った週の半ば、急激な春の到来を感じさせるカンカン晴れのその日に、豊前へ向かった。目的は二つ、田舎の鉄工所がとんでもないボイラを開発中だから見に行かないか、と知り合いから誘われて、そして、それならと2年前に関わった上毛町DESIGNBUILDの現場(今は「ミラノシカ」という)の完成後を見ていないからそこまで脚を延ばそう、という日になった。

途中、高速道路用地転売を拒み、再三地方ニュースに出てきたみかん畑はどこだろうなどと、福岡から2時間弱、着いた工場は、何でも無い、ほんとにどこにでもある鉄工所。そして70前後かそこらの所長(一人でやっている)が、どこからともなくやってきて、会話が始まる。導入はいわゆる武勇伝的な自己紹介で、要約すると、大手の鉄鋼会社から「おまえしかこの仕事はできないから」と、難儀で創造的なプラント、機械の類いをたくさん開発してきた、そしてたくさんの請求書をもみ消しにされてきた!という話。下請けだから非情な値引き交渉は建設業界も同じだが、大手メーカーの勘定奉行というのは、数千万円の追加発注の請求書というのをもみ消しにするのだそうだ。昨今騒がれている「富の集中」というのは、こういうことなのだろうか、などと考えつつ、この前置きだけで1時間が経過した。

近年の発明品であるという低温乾燥機は、それなりに面白かったが、これは設計者として関係するとすれば、木材の乾燥、特に暴れの大きい雑木の乾燥にはいいかもしれない、という直感はあったが、直接的に用いる立場ではなかった。もう一つ、その日の主題であるバイオマスボイラに、やはりなにがしかの未来を感じた。木材チップをバイオ燃料として、「熱分解」と言われる方法による熱の取り出し方によるものだそうだ。いわゆる「燃焼」とは異なり、数段に高効率なため、従来のバイオマスボイラに比べて、多岐にわたり、次元の異なる優位性を誇るとのこと。従来の石油燃料系のボイラーには、運転に当たっては必ず何らかの資格や免許が必要になるが、このボイラだと不要であるとか、温水と温風が構造上同時に得られるとか、二酸化炭素を発生させないため煙突がいらないとか、燃焼効率が良いため燃料代が格段に安いとか、副産物としてわずかに発生する灰は磁性を帯びていて、レアメタルとか医療品、肥料等、二次利用に引く手数多であるとか、気味が悪いぐらいにいいことづくめなのである。

試作品が工場の真ん中に据えてあって、運転こそされていなかったが、一通りの説明を受けた。正直、半信半疑だが、でもこのおじさんは、なんかそんなに絵空事でやっている風ではなく、2年もしないうちに、本当にやってのけそうな気がした。だから、業務用としてのボイラー開発の副産物として同一原理で家庭用も開発するからという発言に、少なからずの共鳴をし、予約注文をした。(口約束)

このおじさんの開発の仕方の面白いところは、最終的な製品全体を支えている部分部分の詳細を、自分一人で発明しているのではなく、様々な試行者との出会いと交流から、ある意味偶然にというか、吹き寄せのように集まってきた工夫の積み上げであることだ。大企業の開発部が持っている組織的構造を、完全に彼の人付き合い=社会の中で、行っているといってもいい。このバイオマスボイラーが生まれる動機も、彼が自然に作り上げた彼流の社会から生まれた。まずは、大手製品として開発し特許を得てきたグローバル技術の類い込みで、大手とパッサリ縁を切り、地域の中で回り続ける技術へ自らの力点を向けた。そうして、木材の低温乾燥機械の開発に始まり、それを納品した先から、結局は木材チップが出来て、ならば、その木材チップの有効利用、厳密には採算が見合うように、という運びになる。大きな円を描くことの消耗から生まれた、小さな縁を描き循環させていこうという意識は、これから現実に回り始めようとしているのかもしれない。

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