縁あって、東京の阿佐ヶ谷に、うどん屋さんを設計させてもらった。建築設計者のおもしろみの一つは、こんなふうに、ある日突然に未知のものの設計を依頼されることにある。もちろん人間が住む器=住宅であれば、それに始まりそれに終わると言われるように、永遠の問いとして、飽くなき探求の愉しみに尽きないものでもあるが、頭が単色になっているところに、ぽつんと差し色が注がれたような、新鮮な感覚もまた、脳のリフレッシュにとてもいい。
尤も、このお店のガタイであるテナントビルは建築家の設計したもので、エントランスドアや、その付近の石材貼りや、床タイルに至り、オーナーの希望があり、そのままを用いることになっていた。私たちが行った意匠的な概観は、気がつけば、ほぼハイカウンター周りと、テーブル、イスのチョイスぐらいのことであった。
その限られた意匠の施しの中で、このお店のデザインとして、成功したなとおぼしき自画自賛が一つだけある。それは、ここで出す一杯の博多うどんの品位そのものと、お店というか一部内装で用いた杉材のありようが、なんとなく、よく釣り合ったのではないか、というところだ。施工者が秋田杉の在庫と縁を持っていたこともあり、この杉の素性は、誠に清々しいものであった。お店として贅沢をしたのは、設備以外、ほぼここだけ。700幅×4mの天井板から切り出したつり戸棚の扉と、400幅のカウンター材。割烹料理屋ではないか、といえばそれまでだが、逆に言えば、ここのうどんの出汁の品位は、用いる鰹節の量とか、塩加減含めて、割烹料理店から出てくるものと同等なのだから仕方がない。
出される一杯との連続以外、ほとんど、デザインとして他にコミュニケイトしている対象はない。器としてのお店の品位と、そこから出てくるモノの品位。品位というのが腑に落ちなければ、単にイメージと言ってもいいかもしれない。食べ物を出すところなのだから、そういうものが出てきそうな、万人に通じるイメージを表現するというところが、デザインの、正に醍醐味だったのではないかと、思った。