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2014. 8. 24

第150(日)ハムスターホイールライフ1(HWL-1)

事務所からなぜか、時折、炊飯器の廃棄物が発生することに気づいた。まかない食制度であるから、朝に昼に常に炊飯ジャーは酷使されて・・、ということを訴えたいのではなく、そういえば、自分が子供この頃の電気ジャーは、炊飯のスイッチのオンオフだけしかなかったが、代わりに物心ついたときから、ずっとそのジャーは長い間現役でいたことを想った。機械も人間も簡単にできているほど壊れくいという、常識的なことをことさら強調したいわけではないが、しかし、それにしても5~6年経たない内に炊飯器を廃棄することになるというのは、いかがなものだろう。
もう一つ、今年買い換えたのは、カメラ。2005年にニコンD70を思い切って買ったような気がするが、完動品でありながら、2014年には中古として値段が付かない状態。これにくっついてるレンズ(トキナー)の電気系統が壊れて、修理費用がそれなりにかかってしまうということで、レンズ+本体の上級機に買い換えた。銀塩フィルム時代のカメラ本体は、基本、社会的な老朽化(そのものの機能が維持されていても、市場にハイスペック品が現れることによる老朽化)などなかった。へまをしなければ、半永久に使えるように思えたし、しかも売るときにもこのような値落ちはしなかった。今は、何十万という上級機を買っても、10年持つだろうかの不安がつきまとう。
同じように、CADのアプリケーションつまり、図面描きにとっては最も、商売道具といえる製図道具もまた、今日のものは、頻繁な更新を迫られる。事務所が使い続けてきたもの(vectorworks)は、いつのまにか、毎年バージョンアップされるようになっていて、もちろんそれに従う必要は必ずしもないのだが、完全消耗機器であるプリンターの類を更新していくにつれて、パソコン本体のOSのバージョンアップを迫られ、それにしたがって、時にはハードウェア、そしてあらゆるアプリケーションの更新とともに、基本的には有償にて行うことになってしまう。(レギュラーな方法に従えば)
いつもの長老癖で、昔はどうだったかと比較をしてしまう。図面を手描きの時代は、ワイヤータイプの最も安価な類の平行定規を愛用していたが、これは、ほとんど全く壊れることなどなかったかわりに、簡単に狂うから簡単に自分で直せた。あくまで微調整が繰り返されるだけで、製図の出力まわりで更新を迫られるものは、せいぜい青焼機(40万円強)が単独で壊れた時ぐらいだったか。10年弱の間、一度だけ買い換えがあったのを覚えている。その際、現代でいえばパソコンのOSにあたる部分は、その当時は人間様に他ならないが、仮にその人間様が代わったとしても、製図台や、青焼機、その他の周辺機器の更新が芋づる式に強要されるということはなかった。当たり前の話だ。

 

ふと、19世紀初めの巨匠アドルフロースの有名な「装飾と罪悪」(1913年初出)というおよそ100年前の建築論を思い起こす。この論説の主旨は、おおざっぱにいうと、以降建築を含めて芸術全般が、それまでの装飾を表現手段とした様式を捨てて、モダンなスタイルを確立していく前夜に、予言的に装飾との決別を世に訴えたものだ。装飾がいかにこれからの時代に邪魔なものであるかのたたみかけるような論説の中に、単なる美学を超えて産業構造、人々の生活水準に関わる、重大な予言をしている。
「20世紀の文化に生きる人間は、自分の欲求をずっと僅かなお金でもって満たすことができる、だから貯金もできる。野菜を食べるにしても、お湯で茹でて、バターで少しいためればそれでよい。だが、18世紀の文化に生きる人にとっては、蜂蜜や堅果を添え、そして長時間料理に時間をかけたものでなければ同じおいしさにはならない。装飾がなされた皿は非常に高価だが、近代人が日常使う白い簡素な食器は安価だ。それでも近代人は美味しく食事をする。一方の人は貯金をし、もう一方の人には、借金がかさんでいく。」
「八時間働いて得る近代の労働者と同じ賃金を装飾家が得るためには、20時間も働かなくてはならない。そして装飾を施すということによって、ものの価格は上がるのが普通なのだが、にもかかわらず、材質は同じで、造るのに三倍以上ももの時間を費やしたものが、そんな装飾のついていないものの半額で売られているような場合がたまに見られるのである。装飾がないということは、それだけ労働時間の短縮と賃金の上昇とに直接繋がるのだ。」
「ところで、そうした装飾が全然無くなったとしたら、—多分、数千年して、やっとそうした状況になるのだろうが—-八時間ではなくて、たった四時間働きさえすればよくなるだろう。というのは、今日、労働時間の半分は装飾に費やされているからである。」
「このように装飾は労働力の無駄遣いであり、従って健康も損なう。過去も当にそのとおりであった。」

(続く)

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