諫早湾干拓の開門をめぐる闘争を見ていて、なにか書きたくなってしまった。ちょっと歩けば、当事者に出逢ってしまうような、思いの外間近なところでの一大事である。
海を必要とする人たち(漁業)が開門を願えば、陸を必要とする人たち(農業)が開門を拒む、おどろくべき単純な構図が表に顕れている。漁業を支持する佐賀県と、農業を支持する長崎県というふうに。
干拓という人間による敷地造成=自然の変形が、人間の間に敵と味方を創り出した、ということを私達は考えてゆかねばならないのかもしれない。干拓そのものは有明海では室町時代から重ねられてきたようであるが、20世紀のものはどうも規模ややり方やスピードが違った。おそらく生態系に変化を与えるに十分であった。自然そのままの海と陸であれば、不漁だろうが、不作だろうが、海からも山からも、だれも対人的な感情は生まれ得なかったが、人為のものであるがゆえに、その賛否を巡って諍いが生まれた。人為的なものであるということは、かくも偏りをもち、非共生的で、脆弱だと、そこまで言い切ってみたくもなる。
同じようなことを考えたことはある。建築物の中で不意の落下などの事故があると、それはほとんど障害事件となる。設計者や施工者、所有者の責任となる。しかしおそらくそれとまけないぐらいの頻度で、人は山や河で致死の事故をくり返している。山や河の方が正直、よほど危ない状況なのであるが、あたりまえの話、山や河の存在そのものについて人間が諍うことはない。
建築家吉阪隆正の有形学(1963~)という理論の大前提の中に、これから人間はこれまで以上に多くの人工物の中で生活をしていくことになろうから、その人工物を創っていくための、相応しいあり方を定義しなければならない、という主旨のことがくり返されていたのを思い出す。この理論そのものは、このように壮大であったから、「相応しいあり方」の具体的なものを提示するには、至らなかった。もっとも、これは完成できないシロモノであるともいえる。「相応しいあり方」は時代や場所が決めるだろうから、大前提に留めるしかなかったのではないか。だから有形論ではなく有形学であった。
この干拓の話に併せて、有形学の曲解が許されるなら、「相応しいあり方」の中に、限りなく創らない、という考え方が潜んでいるのではないか、と考える。限りなく創らないをさらに解きほぐそうとするなら、効果は少ないけれどもエネルギーや資源も少なくて済む、とか、効果はゆっくり現れる、とか、よく言われる持続可能とか、再生可能とか、そういうものも言葉としては含まれてくるだろう。いずれにしても、人工物に対して錬金術的な期待をかけすぎない、そういう人間のマインドのようなものへの定義・道義を含めていくべきではないか。
干拓事業は、それなりの期待をかけて、少なくとも農地という意味では、それなりの効果や利益が得られているのかもしれないが、人間どうしが真っ二つに別れて諍う消費エネルギーをその利益からさっ引かねばならないだろう。大益のために小益が犠牲になる、というような大計の典型としての美しきシナリオにも見えず、むしろ小さな利益のために、より大きな損失や消費をしているように見える。結局は、この錬金術は失敗であった、と冷徹に捉えていくしかないのではないか。
2013. 12. 15