しかし、それにしても、丹下さんの言う「技術の停滞」は、なるほど日本の伝統の根深い体質であったのだと思う。日本の技の世界は、ある段階に達すると、技術の問題の外にいってしまう。そこから先は技術主導ではない、という境地が用意されている。そのことが逃避と捉えられるのであれば、反省すべきは自明であるが、必ずしもそうではないから、わかりにくい。たとえばわかりやすい?ところで、世阿弥による能の指南本「花伝書」には、技能が備わったからと言って技巧に走ると、能はよくならない、さしたるクライマックスのない、抑えの効いた能がヨイ能だ、みたいなことを言っている。技術はありながら、そこに溺れないというなにかが働く。建築にも似たような難解な部分があった。筋交いの歴史がそうである。日本の木造は、今でこそ筋交いを多用するが、関東大震災以前では、日本の大工は「斜め材をいれねーと、もたねー家なぞ俺はたてねー」というような、美学に近い技術観(つまり水平材と垂直材だけで、地震などのヨコからの力に抗する)の持ち主であったことを、ものの書で読んだことがある。もちろん実際の木造建築史を紐解いても思いの他そのとおりである。
さて、木造の話が出たので、直近のお知らせを。ティンバライズという活動の巡回展がこの度、九州展として行われる。(詳しくはこちらをご覧ください。)timberizeはtimber=木材化の意の造語。20世紀以降この方、特に大規模建築、多層(階数の多いビルなど)建築、防火性や耐震性を特に必要とする建築などは、率先して鉄とコンクリートを構造体として用いてきたが、これらをもう一度木造で造ることができないか、という問いかけが、Let’s timberize!となった。「もう一度」というのは、あらゆる建築物を木造で造るしかなかった時代には、今日ではなかなか見受けられない大規模の木造建築物を造っていたからである。現存する数々の五重の塔は言ってみれば五階建てであるし、かつての出雲大社の社殿も50m近い高さを持った木造の社殿であったというし、酒蔵などは今日で言う体育館的大規模木造であるし、また養蚕小屋などは多層建築が多く、4階建ての木造というのはざらであった。それが、戦後法整備により頑張っても3階までしか建てることができなくなった。防火性能や耐震性能、そして生産システムの近代化(平準化)が、コンクリートや鉄の建築を支持したためであった。つまり、そこから木造技術のある種の停滞が始まった。美学的見地からの意味ありげな停滞ではなく、もっと物理的な強制力からそうなったのであるが、結果的には木造は木造のままであるがゆえに、技術革新の土俵から降ろされた。(木造モダニズムと今は指さす住宅建築の名作群は、まさしく丹下さんのいう、感覚的小世界、もしくは私的な開放性が展開したということになるだろう。やはり日本人が得意な範疇での木造は確かに育ち続けた。)
その、一度第一線からの降板を余儀なくされた木造を、再度見直してみると、建築がまた面白くなっていくのではないか。こういう風潮が実は建築の世界と、一般の人々の間で渦を巻き始めている。20世紀を生き抜いた先輩達は、技術の停滞を打開するために鉄とコンクリートの建築を突き詰めたのだが、それらは確実に社会の中で一定水準を寄与することができた。だから次の私たちは伝統としてなんとなく保留にされつつあった木造を、現代の生活、もしくは現代建築の一線に送り出してみてはどうか、ということになったのである。建築を提供する人々のみならず、一般の人々の関心、欲求が具体的に木造に傾いている。素直に、木造ブームである。木によって、高性能で大規模な建築にチャレンジしてみよう、これは今、建築の構想者達が考える先端の一つなのである。
2012. 11. 11