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2012. 10. 2

第136(日)建築家吉田鉄郎は、

ちょうど、東京駅のオープニングの日にここを通過するので、それではと思い、しばし眺めた。ちょうどドイツから来日していたシュパイデル先生が、新しい東京駅はおもちゃみたいと言っていたが、そんなふうに思わせるのは、周りがあまりにも近代的なビル群に囲まれていて浮いているからだろうか。天井やファサードに向かって、多くの人が写真を撮っていたのは、建築がまるで芸能人にでもなったかのような脚光ぶりで不思議であったし、またこういう感じでも、多くの人々が建築に親しみを持てたことは愉快でもあった。振り返ると、建築家吉田鉄郎の東京中央郵便局。ファサードは美しい白タイルに新装されていたが、こちらに向かっては、だれも写真など撮っていない。そして、上を見上げると、ガラスの摩天楼。正面には大きくVのくぼみ造形されている。
おそらく、吉田さんは、あの世で泣いている。ファサードが残ったから助かったなどというけちな考えは想像できない。吉田さんは、最も早い段階でヨーロッパのモダニズムを日本に実現した日本の近代建築家であったが、同時に作家としてはたぐいまれなる日本建築、日本文化の研究者の一人であった。「日本の建築」などの著作において、日本建築に通底する思想を、「清冽さ」という言葉で現した。小川や、湧水などが清く澄んでいて、冷たい様の意の言葉を、日本建築の本質とし、それを新しい時代の建築に実現していった人であった。東京中央郵便局はその代表例だ。(あまりにも澄み切っていて、どこが建築家の仕事なのかわかりづらいとされる)それから80年後、不動産としての土地の高度利用から、そのガラスの高層部分が加算された。加算されること事態は仕方がなかったのかもしれない。しかし、よりによって、そのデザインは、吉田さんが抽出したある種の普遍性を、ナイーブに、無視している。無邪気にVサインでいる。吉田さんが今に活躍する建築家であったなら、こういうデザインこそ、日本人は行ってはならないと訴えていたに違いない。東京駅を設計した辰野金吾は笑っているかもしれないが、その脇で吉田鉄郎は、おそらく泣いている。

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