42才の時、父親の左官業を引き継ぎ、左官Hは一気に仕事の質を変えていきます。現代建築のルーティーンワークとしての土間抑えやブロック工事も行いますが、漆喰塗りや土壁という、日本の建築から消えようとする自然素材を塗るための左官集団としての模索が始まります。土壁も漆喰壁も、もちろん、広い意味では高度成長を超えて生き延び続けてはきましたが、その生き延び方がイビツでした。メーカーから商品として購入することが常識となり、基本は、クレーム回避、性能獲得のため、疑似土壁、疑似漆喰、の類が横行する世界となっていました。図らずも時代はシックハウス症候群が世間一般に知られるようになり、自然素材が再び注目され始める時代に。かつての漆喰材料は職人が自分達の配合で、現場ごとに造っていたという基本に立ち戻り、原田さんは、材料を作るところから始めました。袋詰めの中身をバケツにいれて、適量の水を加えて混ぜればできあがりの既調合(メーカー品)は、性能も安定していてとても便利ですが、一方内容物とその配合比は当然のことながら非公開となり、それを知りたい職人にとってはどこかに判然としないものがあります。また、市販されている漆喰の原料は、基本、石灰(いしばい)で、石灰岩を焼いたものです。漆喰は基本江戸時代以降、山から採掘した石灰岩を焼いた石灰を原料としたものが主となり、工業的に作られるため理想的な焼成工程を獲得し、色は純白、マッシロです。一方、石灰岩ではなく海から算出した貝殻を原料とした貝灰という選択肢があり、日本の漆喰原料としての起源とも言われる貝灰は、今では有明海沿岸の小さな工場が産廃利用の目的で製造する、いわば家内工業的産物です。これは、温度ムラその他の環境により製造され、色は純白ではなく、ごく僅かに灰色を帯びています。左官Hはその微妙な差異に大きな違いを見いだし、むしろ工業製品からすれば粗悪品とも言える貝灰を用いようとします。色合いの差としては二つ並べてみないとわからないほどの微妙な差異ですが、僅かに灰色の漆喰の方が日本の気候風土、もしくは建築になじむのではないかという考えです。また、有明海の産業廃棄物として厄介視されている赤貝の処理のために、小さな工場を営むその経営者にささやかなエールを送ろうという姿勢でもあります。そしてなによりも、自分で漆喰を作れば、配合される糊の量を自分でコントロールできる。後述しますが、糊は結果としての壁のために入れるのではなく塗る人のためにある、つまり職人の作業効率のためにあるということで、なるべく入れたくないもの、と考えます。これは高知に培われてきた土佐漆喰を除いて、日本の伝統的な左官の世界からはなかなか考えにくいものです。市販品には、そのような理由により最初から糊が入っていますから、そこから抜くことは不可能です。市場に通用しない漆喰像がこれほどに重なれば、結果、手間をかけて自ら作るハメになる、というわけです。
2011. 6. 26