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2011. 5. 1

第120(日)木:大工:山下正巳-3(物心集)

普通と異なる三つ目です。大工工務店という響きが今だに有効かどうか、少し微妙かもしれませんが、ならば木造住宅を中心に手がける工務店でも構いません、これらの響きは、親方大工が社長であるとか、大工さんが社員としている、つまり大工さんが会社を構成しているかのようなイメージがあります。が、今は違います。社員は基本現場監督と、もしかしたら+営業+事務員さんあたりで構成していて、木造を請け負ったら、大工さんはその都度に雇います。つまり大工職人はアウトソーシングです。元々の「大工工務店」には大工さんが抱えられていたわけですが、今は、仕事の多少による経営リスクの観点から、大工さんは抱えないのが常識です。山下さんもたたき上げの大工として自分が自ら木に触る職人でありながら、会社を立ち上げました。そして、大工工務店の雛型どおり、大工さんたちを社員として抱え続てきました。高校を卒業したばかりの生え抜きを率先して迎え、若手の育成にも勤めながら、大工を社員として持っている、これは当たり前のようでいて、現代の日本ではかなり珍しい工務店となってしまいました。そして、年月を重ね、ネクタイをしめるかノコギリを握るか、二者択一にして大工の棟梁で居続けることを自然に選び、経営は二世に託しました。経営学におけるアウトソーシングが基本となった今は、抱えない方が経営は無難ですが、大工さんをあいかわらず抱え続けています。なぜと聞くと、外注だと「職人を育てられないから」と言います。本当は、外注であっても、外注先の大工さんとそれに教えを請う若者を間接的に育てることになりそうです。さらには、サラリーマン職人は、腕を上げられるか?という疑問がなくもありません。が、そうは考えないようです。木を触ってきた自身の某かを後世に渡したい、一子相伝とまではいかないにしても、直接自分の真横に彼を置き、伝えたいという気概のようなものが、おそらく経営リスクを上回っているようです。
木についての「某」、ここが問題です。大工を学ぶには、一方には職業訓練校のような学校に通うという方法もあります。こちらには当たり前の話、お金を払います。一方で、親方大工に付いて修行をするというのは僅かであってもお金を貰って教えて貰う、ということになります。指導と雇用が一緒になっているので、徒弟というのは、学校よりもある種の厳しさを持っています。そして、親方独りの人格の影響化に置かれるという意味で、学校よりも私語の飛び交う世界と言えるかもしれません。学校制度に対して徒弟制度は、従って客観的な技術を基本としながらも主観的技術の割合が高い。山下さんの伝えたい「某か」とは、この主観の中にあるのかもしれません。例えば、大工技術の基本に、木の反り方向を知るというのがあります。木表や木裏といって、面材がどっちにラウンドするか、これは、小口を見れば直ぐにわかる。基本丸底になる方が表に見えるように面材は用いるとか。また、長手にはどっちにクセを持っているとか、梁に用いる時は、太鼓状に弓なるように用いる等。また、樹種によって、住宅のどの部分に用いるべきか、など、生き物としての木、つまり、人間が完全制御できない対象としての木と付き合うための、人間側のセオリーがあるわけです。その他、道具の用い方、道具の手入れの仕方などにも、(大工に限ったことではありませんが)セオリーはあります。法隆寺棟梁宮本常一氏曰く「木に学べ」は、・・
様々な名工が言葉として残しているもの、多くの職人が異口同音に発した共通事項は、木という一筋縄にはいかない材料の扱い方に対するより客観的、普遍的な技術の部分であるかもしれません。しかし、言葉で顕されたものの背後には膨大な個人の経験が控えていて、そこから彼が抽出したものを私たちは聞いているに過ぎません。また、各論においては同一条件と同一目的においても、職人各々の回答が異なることは、少なくありません。この個人的経験値の集積と、複数の正解が存続すること、これを当に主観的、個人的技術というのではないかと思います。ところが、近代合理精神、もしくは高度成長は、この主観的、個別的技術を手段として駆逐してきました。その成果はめまぐるしいものでしたが、それでも今日、駆逐が完了したことにはなっていません。それは駆逐そのものは手段であって、目的ではなかったからです。完全に抹消すべきなどとは、そもそも誰も考えてはいないわけです。個人に宿る技能が無くなっては、ものづくりが楽しくないではないか、そう考える人々がやはり対局に起こるわけです。山下さんとその技術集団の各々は、裏を返せば、そのような発想の持ち主達であるように思うのです。

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