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2011. 2. 27

第112(日)LDKという発明

<house1954 sus-kitchen ¥250.000>

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わかっているようでわかっていなかった基本。先日、toto通信を読んでいて、ちょっとハッとする。例えば、LDKという今日当たり前になった室内の形式、これは、およそ100年近く歴史を遡る、あのバウハウスによる発明であったという。それまでキッチンは、リビングからもダイニングからも身を退き、見えない奥に隠れた存在であった。完全舞台裏サービスヤードでしかなかったキッチンを、リビングダイニングの生活空間へ最初に連れ出したのは、初期バウハウス(グロピウスの実験住宅?)であると。しかし見落としてはならないのは、歴史はおよそ成功例ばかりを記述するが、本当に新しいことは、それを生むための多くの失敗例があるのだと。それらが下敷きになり、歴史が塗り替えられているのだと。(藤森照信氏)これは、建築の歴史に限らないかもしれない正しい歴史の見方、なるほどである。失敗の連続を踏み石にしてその道程の先に、ようやく、社会は確実な某かを手に入れる。
裾野が広がった建築家というヒト達の中で、本来の建築家と呼ばれるヒト達は皆、この道を歩もうとしているヒト達かもしれない。彼らは踏み石となろうつもりはなく、その上を歩くイメージでモノを造っている。もちろん、実験のすべてが、バウハウスが産みだしたリビングキッチンのように、後の社会の規範=実を結ぶかどうかはわからない。だから、普通は実験など、おいそれとできるものではない。「ある種の自己精査を伴っていなければ、実験は危険であるという認識」そして、「本当に新しいこと、瑞々しいことは、必ず社会の規範となる」という認識。インハウスならぬ青空の下デザイナーならば、毎日、神棚に唱えていてもよい金言かもしれない。

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