« 日曜私観トップへ戻る

2011. 10. 1

センシブルハウス-屋上緑化の意味(1)

屋上緑化が一般的に騒がれ出したのは、おそらく東京都が一定以上の建築行為に屋上緑化を義務づけした2001年以降でしょうか。福岡では、1995年にアクロス福岡が出来たことにより、スケールの大きな屋上緑化が、しかも、地上からよく見える都市景観として、身近になったように思います。屋上緑化の社会的な意味の大部分は、やはり、屋根の断熱効果にあることは言うまでもありません。
例えば、なにも施工されていない屋根面では、夏の日射により表面が60〜70度にもなるのに対して、被植土壌面では30度前後で安定しているという数字があります。理由は、植物の蒸散作用、日陰効果、土壌水分の気化潜熱による冷却、などです。ですから、都市のヒートアイランドの対策として、施設やビルなどの大きな建築に緑化が推進されるという状況にありますが、当然のことながら、住宅の屋根としても利点があるということになります。
とはいえ、住宅の屋根の上に土を載せるというのは、人間が頭の上に重石を載せて歩くのと同じように、多くの木造住宅にとっては構造的な負荷が大きいものです。また、雨水のように単に水が表面を流れるよりも、常に水で浸された防水層には高い防水性能が要求されます。結局は、これらを解決するために、コストの割り増しが必要ということになります。(そのコストが、最近では比較的安くなってきたように思いますが、)
それからもう一つ、メンテナンス=維持が難しいという問題が、長らく言われ続けています。緑化による断熱は、植物が担っている部分も多く、それらが枯れて土壌のみなると、断熱効果が弱くなるということがあります。また、枯草だけが残った屋根の庭は、(生活)空間としての魅力が半減してしまうので、思いやりの持てない庭の一途へ向かいます。理想を描いてはみたものの、現実の生活にはなかなかなじんでいかない。東京都に並んで、屋上緑化の条例化が全国の主要都市の原則とならないのは、おそらく理想どおりにはいかない実状が解決されていないからなのかもしれません。
緑化住宅のプランや事例はたくさんあっても、結局は、私たちの活きた生活空間として続いていかない、というのであれば、緑化は生活の知恵というより、モノ好きの道楽になってしまうように思います。少なくとも、技術(=コストの経済化)や法整備が進みつつある今は、その分かれ道にあるのかもしれません。

« »