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2012. 1. 23

センシブルハウス-「其所を意識する」


先日、ちょっとヒドイ腰痛=軽いぎっくり腰になり、行き付けの整骨院へ。カイロプラクティックという語が看板に書かれているので、とりわけて特別な整骨院でもないように思えるが、内実は鍼灸処置あり、アロマあり、の盛りだくさんの治療を受ける。レントゲンや血液検査といった、現代の常識的な身体検査の代わりに、触診その他の方法により、腰の不具合のみならず、胆嚢機能などの指摘と治療を行って貰った。その中で一点、アロマ療法の意味を初めて知る。アロマテラピーには、ウィキによると、医療目的を主としたフランス経由のものと、リラクゼーションやスキンケアーを主としたイギリス経由のものがあるらしいが、もちろん私が施され、関心をもって今書き留めようとしているのは前者である。薬草の精油を身体に塗ることより、皮膚を通して血液に取り込まれ、治療効果をもたらす、というところまでは、ウィキで得られる情報。薬草というのは、人間にとってはいわば毒で、その毒を患部、もしくは経絡の位置に塗ることによって、身体がその毒に反応して、そこに(無意識の)意識が集中することになり、自然治癒を促すのだという。意識を集めて、治す。患部に文字通り意識を集中して癌を治療する方法をTVで見たことがあるが原理はこれと同類か。あるいは、ヨガ講習で学んだ原理と同じだろうか。「アーサナ(姿勢)により痛いところを治そうとする必要はなく、痛い=悪いところを感じるだけでいいのです、感じさえすれば、あとは身体が自然にそこを治そうとするのです。」
自然治癒、もしくは自らが自らを治していくというのは得てして意識しづらく、微妙なものであり、緩慢である。それらを促進するきっかけは「其所に意識をする」ところから始まるようである。これはもしかしたら、病気を治すだけには限らず、性格も直せるかもしれない、などと思いつく。どうやって自らの性格と付き合うかという命題は、少しずつ自らの立ち位置に気づき始めるアラフォー男子にとっては、それなりの命題である。ひとまずは、自らが疑問視する其所に自らの意識を集める、それだけで良いのかもしれない、と薄明かりが差し始めるような気がした。

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