先日、実母の部屋のエアコンを取り替えました。室内機本体から、ドレン水がしたたるようになり、2002年製とあったので、いっそのこと取り替えるということでした。どうせとりかえるならいいものがいい、と言われ、除湿、加湿機能付きのものにしました。9月の始め、昨年は、このころも残暑が厳しかったように覚えていますが、今秋の夜は涼しく、窓を開けて寝るかどうか、というところです。ところが、齢80の老母は、まだエアコンが無ければ夜が眠れない、と子供のように不平を訴え、私を見るとエアコン屋を見つけたかのように「工事は何時だ」とせがむ始末。ようやく、新しいものに取り替えてあげると、子供がおもちゃを取り戻した瞬間のように、おとなしくなりました。
さて、問題は、暑さ寒さへの感覚ですが、やはり、高齢者にとっての暑さや寒さは、若い人に比べて、格段に順応性が悪そうだということを、痛感しました。確かに、私達の幼少の時には、ランニングシャツ+半ズボンで越冬する仲間がいた反面、同じスタイルで越冬する老人など都市伝説にすらなかったはずです。精神力を抜きにして、やはり、物理的な身体の体温維持機能に、大きな差があるということなのだと思います。
ということは、室内環境の理想化(暖房や冷房)をどこまで強制的に行うかという問いに対して、個人差云々の前に、少なくとも年齢差はすべからく考慮にいれなければならない、ということになるかと思います。5歳のピンピン坊やと、80歳のおばあちゃんとは、冷暖房への依存度は異なるべきだということです。長幼有序の美徳も、子供にとっては過度の冷暖房に甘んじる風習ということになるでしょうか。病人や老人などの配慮すべき人々には、惜しまず人工環境を差し出すべきであり、一方、子供や健常者は、なるべくその依存度を低く保つような心がけが必要なのかもしれません。冷暖房依存度が肌年齢を作る、というならば、これすなわち、家作りはアンチエージングに関わるということになるでしょうか。