風水という言葉を、お聞きになったことがあるかもしれません。古代中国の思想で、都市、住居、建物、墓などの位置の吉凶禍福を制御するために、気の流れを物の位置で制御する思想です。私たちが例えば「地理」というと、学校で習う教科の一つとなっていますが、元々「地理」とは「風水」の別名だったそうです。現代のジオメトリー(英語でいう「地理」)のように科学的な要素、土地の起伏や地質、水の流れなど、つまり人間の五感で感じることができる世界を含んでいたということです。
さて問題は「気の流れ」です。人の体内を流れる気は、既に科学的にその存在や働きが立証されています。最近よく巷に目にする鍼灸治療院は、体内の血液や気や体液の流れを滞りないものにするという治療を行っているところです。都市や家に流れる気の存在は、人体解明より遅れて、科学的に明かになってはおりませんが、もし、風水思想に従うなら、それらの気も滞りなく流れているのが、良いということになるかもしれません。つまり、なんとなく家の窓を開けて、外の風を室内に引き入れたいという感覚は、もしかしたら物理的な風(=wind)ではない流れを本能的に感じようとしているのではないでしょうか。人間自身が体内をよどみなく諸物が流れているのが健全であるように、人間をとりまく環境も同様である、と想像したくなります。
もちろん、見えない何か、というベールに包まれた世界の話ばかりではなく、窓を開ければ、虫の音や、鳥の鳴き声、草木がそよぐ音、もしくは、子供がはしゃいでいる声が聞こえてくることによって、私達は室内よりもずっと広い生活圏に生きていることがわかります。窓を開けることによって、そういう広さが感じられる、それが案外心地良い、と私達はどこかで感じているのかもしれません。