2022. 5. 15 permalink
「私、今年で、開業してから50年になるの。パーティするから来てくださる?あなたも、結局は、お店づくりに20年関わってくださったから、同朋戦士のようなものでしょ?」
「同朋戦士」という言葉を聞いて、魂の底が共鳴し、たまたま何もない日曜日だったので、喜んで参加させてもらった。
建築設計のデザインスキルというもののわかりやすい社会的効果の一つに、商業建築において、いかに商売が成功するか、というのがある。機能上のことであれば、場所条件とわず普遍的な命題であり、わかりやすい目標で、そう遠からず良し悪しが判明するが、意匠となると、誰に対してなのか、とか、それが今に受けるか、また未来にも持久力のある意匠であるのか、なにを具体的な目標としていいのか、またどうなったら達成となるのか、実は、雲をつかむ様な部分なのである。商業建築が求める意匠力とは、真相はそういうつかみどころのないものである。
もし、その意匠上の耐用年数が短くても、と条件を絞っていくのであれば、話は変わる。意匠的に短命でもよいならば、一番今受けているものを画像検索レベルで仕入れて、現実に施せばいいし、客の入り数などの数字による効果も拾えるだろうし、そして、いろんな意味で、飽きられれば、そのとき店じまいすれば、最初からそれは予定調和だったと、胸をなでおろすことができる。「商業デザイン」という時は、概ね、多かれすくなかれ、この短い商業サイクルに乗っかるもののことを指しているだろう。
ということで、私たちの事務所には、そういう短期決戦型の仕事は、設立当初から今に至り、一度も縁がない。(設計〜施工期間が短いという短期決戦は、いくらでもある)むしろ、50年後も生き生きしている建築を、と言われることはある。
カトレア美容室は、施主さんが、若干23歳の時に立ち上げられた小さな町の美容室から始まった。そこから数えて50年目となった。私は後半の20数年に、戦力となったかどうか、ということではあるのだが、そういう息の長いご商売の素質に水をささずに、もしかしたら、その営みの一助となることができた、可能性をほのめかしている。もしそうであるなら、デザインにおける中距離走ぐらいを一応完走できたのではないかと、気持ちよく錯覚させてもらえる機会でもあったのだ。
漆喰や赤土、癖のある古材を内外に用いた建築は、正直メンテナンスの連続でもあった。(これからも)それでもこの方は、淡々とメンテナンスの発注をされた。そうしてこうして、町に愛される店でありつづけられたから、それらの自然素材は存続し、営みの一助を続けることができた。よくよく考えると、これは大変にありがたい。また、成功パターンとして、是非とも公に共有されるべき事実ではないか、と大げさにも考えたくなるのである。やはり、モノを育て用いるのは人、ということになる。モノが保たないからだめになる、とは、こういう事例を知っていたら、軽々しく断言ができないだろう。