2023. 3. 3 permalink
ひさしぶりに、ここのメンテナンスに出向いた。昨年末の大雪(この辺りは特に大雪)で、トイが壊れたとのことで、いろいろと行き違いがあってようやく、修繕が終わった。気づけば、ここを改装してから、7年になりますね、と施主さんと交わす。外壁は、時々にその退色の具合を見てきたが、2〜3年ぶりだったからか、一気に退色が進んだ。
というより、退色が完成した。人間の高齢者をシルバーと比喩するが、杉の外壁も、年月を重ねたものをシルバーと言ってもいいのではないかと思った。最初から黒に塗る場合も多々あるが、時間をかけて、退色したものは、まるで異なる。こちらは、真っ黒という表現は似つかわしくなく、明らかに、黒銀である。英語で言ったら、”BlackSilver”。ますますカッコいいではないか。
と浮かれるのは簡単だが、退色が二人称、三人称で了解されるか否かは、一筋縄ではない。肯定的な人と否定的な人と、だいたいどちらかに分かれる。だから、退色をデザインするためには、まずは施主さんがそうであるのが条件になる。若干、そのあたり、私の拙い統計がものを言う。自分の年齢(53)を境にして、自分より上の方々は、傾向として退色はよろしくないという場合が多く、自分より若い方々の方が、素材のビンテージ化に対して、抵抗がない、あるいは、それがかっこいいと思う人が多いように思う。やはり、見てきた風景によるのであろうか。あっという間に朽ちてしまう素材に囲まれていた世界から脱却しようとしてきた時代感覚の世代と、そこから見事脱却してしまって、変化しにくい素材、そして精巧な自然素材のイミテーション、人工素材に囲まれて育ってきたから、むしろ本物であることと、その変化がやけに新鮮に見える、という世代。少なくとも心理学的には、ありえそうな筋書きではないかと思うがどうだろう。
退職のデザイン技法の練磨と論理化は、何れにしてもライフワークだ。