2012. 4. 28 permalink
神官の家(2007)を訪ねて、対馬に渡った。築200年以上の星霜を重ねた住宅の、大々的なリノベーションであった。壊して新築かというところを、辛うじて免れることのできた幸運な民家であった。そもそも200年の住宅であったから、その改修から5年経ったごときでどうということもないはずだが、やはり、新築規模のリノベーションであるから、気にはなっていた。
そんなとき、この家の施主さんから連絡があった。「すこしまた手を入れたいから、見に来てくれないか」の内容。離島は、よっこいしょという感じで出向くことになるが、歓待しますの一言につられて、家族同伴、公私混同のツアーを組むことになった。4月1日、離島の桜吹雪。変わり得ない材料で造ったモノは、どれだけきれいであるかの不安と期待があるが、変わらざるおえない材料で造ったモノは、どんなふうに変わっているかの、不安と期待がある。
同じ不安と期待なら、後者の方が可能性があり、愉しみがある。蓋を開けてみるとまずまず。外壁はすべて、地場の杉。亜麻仁油塗りの仕上げは、そのまま、予定通り黒くなっていた。軒がないところが、もっとも美しく灰色化していて、これには少々驚いた。自然が着色したものは、うまく条件が整えば、かくも美しいのだ。
塗装の類いの雰囲気とは、まるで異なる。このように美しくエージングを得る条件とは、おそらく杉の素性が絡んでいるだろうし、軒の出具合、張り方向、その地の風向き、なども考えられる。張り方向はもしかするとヨコよりもタテの方が、経年変化にとってはよさそうである。
ちなみに、本土の常識として最も安い外壁材のサイディングは、ここでは、運搬料が加算され、地場の杉板張りの方が安かった。
対馬の新鮮な海産物で想像を超える歓待を受けながら、私がこの地に呼ばれた施主の本心を聞く。「どのように変化しているかを見て欲しかった。」同じくものづくりに専心するその施主さんの屈託のない思いにより、幸運にも自身が設計したものの答え合わせをさせてもらったように思う。