水平な家シリーズ
【どこかに記憶している日本の家】
「日本の伝統的木造技術であり美学である数寄屋を追い求めながら、大工工務店をやってきました。これまでは、良い家を造ろうという施主さんには、数寄屋の 選択肢がありましたが、時代は遷りました。また今の若い人たちに とっては、精一杯の住宅ローンで土地と家を買い求める時に、数寄屋という高価な選択肢は難しくなってしまいました。日本の大工技術としての数寄屋、これを造ってきた大工達の 技術や意匠、あるいはその気持ちのようなものを、これからの新しい家のカタチとして伝えていけないものでしょうか。」
下関市の山下建設の、この問いかけを発端に「水平な家」と 名付けた家作りが2004年から始まりました。日本人の住まい に対する美意識の根底に、垂直よりもどちらかというと水平方向への拡がりを賛美してきた習慣を、現代住宅の祖型として再び捉え直していこうというものです。施主さんとの最初の打合せでは、できれば平屋で、外観を横長とし、そして、内部の空間や窓の 風景も横長がいいのでは、と提案します。そして、使われる材料は、今の日本で手に入るごく普通のモノ、日本人が長らく愛用して きたモノを基本とします。柱梁は杉(+米松)、造作材は、流通とは無関係にストックされている無数の雑木が選択肢にあります。壁は漆喰、場合によっては近隣の土を練った壁や三和土(タタ キ)、床材は、杉などの国産材もありますが、唐松などの外材なども拒まずに用います。アルミサッシの代わりに木製 建具、カーテンの代わりに障子、という具合にどこかに記憶している日本の家をイメージしながら、施主さんの意見も加えながら、現代住宅を目指します。
【地方都市住宅のうまみ】
東京や大阪のなどの大都市圏では、よほど 中心から離れない限り、家は狭小立体住宅を強いられま す。小さな 敷地から最大を産みだそうと、そこには多くの知恵が注がれます。 一方、その他の地域 にとっては、狭小住宅は見ている分には面白くても、我が身のこととは思えない側面があります。「水平な家」が造られてきた北部九州から山口の地 方都市近郊で は、狭小住宅でなければならない状況は数としては少数ではないでしょうか。むしろ平屋、もしくは平屋は決して 不可能でも高嶺の花でもない、そういう住宅地を持った地域です。因習的に総 二階建てとなることがあっても、実は平屋が計画可能であるという敷地が豊かに潜在しています。まずは平屋から 考え始めるという姿勢は、自然 な成り行きとも思えます。
【原型のようなもの】
個人的な趣味や感性というより、私たちの風土として共有された美学。設計者個人の手法というより、場所の状況が作っていくプロトタイプ のようなもの。 「水平な家」は、周囲のごく一般的な家々とは、趣が異なります が、むしろこちらの方が根深い家の型を持っている。個々の趣味が野放図に顕れた町並みの中で、「数が増えても良い」共通フォーマットのようなものとなることを目指しています。
〈水平な家シリーズ〉
水平な家-ⅱ
水平な家-ⅲ
水平な家-ⅳ
水平な家-ⅴ
建築家と施工者の間柄を、サラダドレッシングであると比喩した。卓上のそれが水と油を混ぜて用いるように、家はこの両者を混ぜ合わせて造られる。しかし、これらは本来的に水と油である。水と油によって出来上がる住宅、あるいは、水と油が互いに別々の土俵から作り出したものが、まちに混在している。そういう供給構造そのものを一度疑ってみてみてもいいのではないかと述べた。
この建築家にしかできないだろうと思われる住宅、でもなければ、どこにでもあり誰がやっても同じと言われるような住宅でもない住宅。明らかに新しく現代の住宅であり、しかし、なじみのある住宅。多くの人々の家として繰り返すことが可能であり、しかもその都度に違った見え方をし、原理だけが通底していく、そういう住宅の造られ方。建築家と言われる職能は、独創性ばかりをよりどころにし、社会一般との接点が希薄であると時々言われるが、実は、彼らの仕事の中には、常に一般の人々のための普遍性が目的化されているものがある。
原理とは、上位概念(コンセプトといってもいいし、単にテーマといっていもいい)である。上位概念は上位であるほど、多くの人に通じる普遍的なものに近づく。「水平な家」の文字通り「水平」であることを上位概念にしたのは、「水平な」カタチや空間・風景が、日本人にとっては、十分に一般性を帯びて迎えられるのではないかという、考えに基づいている。
建築における垂直と水平の云々は、西欧と日本のそれを比較する際によく用いられる。いずれの建築にも、垂直的な指向、水平的な指向はありうるが、歴史上、おおむねどちらかに傾倒していたとされる。西欧は垂直的であり、日本は水平的であるという具合である。ゴシック時代の建築ではゴート族(ゲルマン民族の一種)が自らの世界観であった深い森(針葉樹)を創造すべく、上へ上へと建築の高さを伸ばしていった。それと対照的に、日本人は、木々(照葉樹)が枝葉を横へ広げていくように深い軒を拡げていく技術を開拓していった。その途中に紆余曲折はともかく、おおよそこの原理はそれぞれが20世紀まで変わることのない、建築における習慣のようなものであり続けた。垂直的指向は組積構造(石造)であることと相まって、垂直に伸びる開口部を有し、水平的指向は、木造軸組であることと相まって、水平に広がる開口部を常とした。その内部に出来たそれぞれの空間を愛でながら、それぞれの人々がそれぞれの空間と長く親しんだ。
20世紀に入ると、RC構造や鉄骨構造が建築物として応用されるようになり、上記の習慣的差異は揺らぎ始めた。フランスの建築家ルコルビジェが提唱したドミノシステムはそれまで石造建築が余儀なくされていた垂直に伸びる開口部を水平に広がるものへと解放した。おそらくこれ以降、窓は垂直のプロポーションであるという固定概念が、西欧人から薄らいでいったであろう。一方、日本においては60年代後半から、木造住宅の構法として2×4が普及していった。利点としては、工場生産部分が多くなり現場施工+量産性+品質管理がしやすくなったことにある。また同時に構造的にも地震に強いとされてきた。その地震に抗するのは、かつての在来における軸組(フレーム)ではなく、耐力壁に取って代わられた。西欧が壁から解放され、自由な開口計画と風景を模索していったのと裏腹に、日本の住宅はいつのまにか、諸処の理屈により、壁で構成するものとなっていった。柱だけの空間に建具をはめ込み外界を仕切っていた在来木造と真逆に、頑丈な壁をまず作り、そこに物切れの開口を穿った。軒は事なきを得るため無難に縮み込み、吹き抜けといった縦長の空間に縦長の開口という類のものが新しい住宅像として固定化していった。
構法の標準化や、耐震性の向上等、各々は確かにすばらしい住宅建築の発展であり、明らかな社会貢献である。しかし、一つの利を求めると必ずそれより劣位の何かが気づかぬままに失われていることを想像しなければならない。この場合は、水平に伸びる姿形、水平に広がる風景という、誠に弱々しい価値である。しかし、それを捨て去り平然としていられるほど、我々は歴史が培養してきた感覚から自由になったとは思えない。遺伝子の中に積み重ねられた感覚が全て消え失せていると考える方が難しいだろう。
「水平な家」はいわば「平均的な家」のアップデートであり、そんなに特別変わった家を求めていない人たちのもの、というスタートラインに立っている。しかし、従来の「平均的」なものの心なさになんとなく気づいている人たちのものでもある。「平均的な家」が優先しているものをはっきりとひっくり返そうという自覚はないが、なおも劣位を無視できない人たちである。その時お節介にも、こういうイエありまっせ、とそそのかす時の選択肢である。そうソソノカスための重要な手がかりは、我々の多くが長く大事にしてきた、水平に伸びやかに広がるカタチ・風景である。今によく見る「平均的」な住宅の形とはかけ離れているように見えて、実はそういうものよりもむしろ深くなじむことのできる原理を内蔵している。
月刊左官教室連載「水平な家その2」より抜粋