2023. 6. 13 permalink
ラクシアンに来られた方複数から、再び、設計者は誰だ?という話になったらしく、施主さんが、もうこれは本人を呼んだ方が手っ取り早いとなり、他の希望者をついでに募られ、ラクシアンの設計についてのレクチャーをラクシアンで行うことなった。聴講のお相手は一般の方々なので、少々普段とは勝手が違うと思いつつ、普通の人にとってもおもしろい建築の歴史などに、隙あらば脱線するという、『脱線別話集』のタイトルをつけた。土地探しを1年以上かけて、そこから1年ぐらいかけて設計し、施工は6ヶ月弱。今から考えると2年そこそこの、その期間というのは、設計者の働きどころとして大小の話が詰まっている。しかしもはや今となってはそののちの方が長い。ということでこの状況を踏まえ、竣工までを『そのまえ』、引渡し後のことを『そののち』と、二章立ての話とした。
できた後の話というのは、基本的には物語として設計者の手を離れる。また、時を経て事実の蓄積があり、それらが追跡調査できるかどうかにかかってくる。2002年に完成して築二十二年経過したこの家は、話に事欠かないほどの豊かな「そののち」が蓄積していたのは幸いであった。このようないくつかの条件が整って、『そののち』の楽しさを伝える機会が得られた。
もっと言えば、どちらかというと、建築の価値はむしろそっち(そののち)だということを根っことしている自分があることに気づく。そう言えば、自分は、なにか具体的な名建築家や名建築物に引き寄せられて建築の道に入ってきたのではなかった。身近に接することができた、実体験のようなものから、その価値づくりに関わりたい、というようなことではなかったか。動機としてのアイコンはなく、実は視覚的なものとは言い切れない、生き続ける建築のようなものへの興味があったのではないか、と振り返る。
慌てて、「生きられた家」2000 多木浩二を本棚から引っ張り出す。もともと精読ができていない(よく理解できていない)一冊だったが、この手の文章は今も変わらず得意ではない。とはいえ、これは、というセンテンスを引き抜いてみる。
「住むとは、架構としての家を経験の次元に吸収することである」
P148<5-1.痕跡の宇宙<5.抽象とパラドックス
この章は、人間が住み終わった後の、建物に残っている人の気配のようなものについて、書かれている。上記の表現の輝きは、家が経験に吸収される、という、言わば主客転倒のところだろう。普通に考えるなら、家(主)が住人(客)に経験をもたらす、というイメージだろう。設計者であれば、通常はこの主従関係においてはじめて、計画がなされうる。だが、ここでは、住む人が(主)になって、家(客)を経験の次元に「吸収しうる」というのだ。架構としての家はそのままであるが、経験の次元たるものに、吸収されてしまう。住むことが、能動的に家に対してなにかを付与するような勢いである。それは、もちろん、設計者、施工者の手を離れて、人が住み始めてから、に他ならない。
ラクシアンは、計画の始まりからして、書の空間のための小さな住宅である。書の空間は、厳密にいうと、「書」の歴史的背景含めて、人間の切なる生活空間とは対比的な、どちらかといえば聖なる空間である。そこで日々、書の空間、時に茶の空間、時に説法の空間、あるいは小コンサートの桟敷席として、そして、宴会の空間となる。そんな使われ方の履歴を、手持ちの写真の中から羅列し俯瞰すると、よく生きている家だと率直に思う。家からすれば、生きられた、となる。この主客の関係が、既に、住み手が主体であって、家は受動的な立場なのだと言っていることになる。実際に、時間が経てば経つほど、主体は、住む側の方に還っていく。設計者としては、どうしてこうなれたか、を手中に収めたいところなのだが、確実なものとしては、手法として修めることができない。建築学の範疇外となり、再現性を望むべくもなく、結果オーライの成功事例として只々傍観するのである。