とにかく、OOKAWA(福岡県大川市)に木工に関わる作り手と材料が集まっている。いや、こんなところがまだあった、とその種の楽園、というに等しい。家具や建具などの日常のもの、もっといえば、自然木や紙を用いたプロダクトをこの現代で作るための最適地ともいえる。
2017-2019の三年間、補助金をもらって、大川の職人さんたちと、外部のブレインと、それなりの体制が整えられて、我に返る木工の開発をおこなった。皆、補助金がきれたら、夢から覚めてしまう一抹の不安を抱えながら、仕組まれた濃密な時間を過ごした。その過ごし方が良かったからか、終わってからも、醒めが引かず、なんとか、その楽しみを再生産したい、という気持ちを持ち続けている。
幸い、それなりの発見や成果のようなものを掴んだ。高木組は、引引戸という、引き残りを最小にした引き戸の機構を開発した。(特開2020-079547)この技術を手がかりに、新しいデザインを作りつづけ、多くの人々に届けていきたいと思っている。
「通し、障ふる、建具」
人を遮り、通すように、空気や、光を制御する。
人を遮り、通すために動く建具。同じように、空気や、光を制御する可動の木製細工。
「立体羽根障子」は、風や光の向きを変えながら通す障子戸のようなもの。例えば、 様々な空調の吹き出し口前面に設置され、空気の整流装置として。トップライ トや壁面採光 + 通風面の内側に、または人工照明群の手前に設置して調光ルー バーとして。当然、これらは意匠的「カバー」であり装飾建具でもある。住宅、 非住宅にかかわらず、風と光が通る室内に用いることができるはず。もちろん、 コストや、防火基準といった現実の制限を受けるだろう。
とある未来の建築者からの便り
繰り返しの可動性を宿命づけられた「建具」にとっては、今でもアルミや合成樹脂製による高精度の工業製品が、変わらず私たちの日常生活の根底を支え続けています。でもちょっと昔(2018年)と違うのは、機械的安定性、価格の透明性のために知らぬ間に捨てていた「差異」の心地よさを、少なからぬ人たちが意識して求めるようになってきました。「差異」は「ゆらぎ」と言われた時代もありました。
量産の宿命であり手段である平準化が、住まいのディティールを構成しつくした時、「微妙な差異」の積み重ねが、街に、通りに、隣り合う建物同士に、もしくは家一軒の中に散在していたことが、人間にとっては必要な「自然な環境」であったと、顧みられるようになりはじめたのです。
「微妙な差異」は巨大な精密機械が連続する大工場よりは、個人の技能が宿る現場や工場(こうば)から生まれるものの方が自然でしょう。 建具で言えば格子戸の桟木の見付けやピッチの異なる程度の差。もしくは自然木そのものの個体差。別注を旨とする木製建具の製作現場は、そもそも日常風景に心地よい「差異」をもたらす後方生産拠点でした。
職人の多くが、ものを作る喜びを見失っていったどん底あたりから、ある種の敏感な発注者たちが、彼らに不安と期待を秘めながらも、ものを作ってもらう愉しみを見直すようになっていきました。これらの個々人の趣向が、末期資本主義の退屈を凌ごうと、職人という個人の技能と再び接点を持ち始めたのです。ワンクリックの買い物か?、作るところから始まる買い物か?今はもう、どちらも等価に選べる時代なんです。
退屈な生産時代の方々へ