2008年11月に新聞発表された、市の展望台計画案の再考を願うための「代案」として計画。名島城(1588〜1602?)の歴史よりも以前に遡る、神社もしくは神域とされていた「神宮ヶ峰」、つまりヒモロギ(※)という場所的地霊を尊重しながら、現代、そして近未来の私たちが愉しめる聖域をつくろうという計画。
※ヒモロギ、イワサカ=社殿の無い最古期の神社の形式(写真上/宗像大社 高宮斎場)
「元来、これは神を招来するために、浄められた空間を設定したものであった。日本書紀ではそれを斎庭(ユニワ)と呼んでいる。例えば北九州の宗像大神の高宮と呼ばれる屋外の祭祀の場にその原型を見ることが出来る。森林を切り開いた矩形の土地の全面に砂利を敷き詰め、神の憑代(ヨリシロ)になる榊が立てられる。ひもろぎがこうしてつくられた。平滑で、砂だけが敷き詰められた空間に、祭祀の行われるときに限ってひもろぎがつくられ、憑代に神が招かれる。地上の施設は祭祀の成されるときだけつくられるので、仮設のものでいい。後は壊されて場所だけがのこされる。<「見立ての手法」磯崎新/鹿島出版会1990より抜粋>
以下名島神社にかかわる歴史情報
ひもろぎ逍遙(個人ブログ)