2019. 12. 25 permalink
福岡市都市景観賞(H8年/1996)
登録有形文化財(H21年/2009)
黒田官兵衛が関ヶ原合戦の後に博多に移封された際に、岡山から随行してきた一族によって、この酒造場は営まれてきた。いうまでもなく、酒造業という産業は高度成長期と共に、斜陽を仰ぎ、有無を言わされず、量的陶太の道に揉まれてきた。その中で、この酒造場は酒蔵という建物を用いて、現代を生き抜いてきた。
酒蔵という木造大空間を生かして、披露宴、宴会やコンサート、売り場、会議といったホール機能を展開しながら、その都度に機能的、意匠的な不足を少しずつ加算していく。そのような体勢が、2006年に私が関わり始める少し前から整えられつつ、今に至っている。
盆正月という年二回の商閑期に、比較的大工事を行う。内容は、単純な壁や屋根の修繕から、機能上、意匠上の増強のための新たな空間の付加工事(あくまでも室内を仕切ったり、減らしたり)などがある。同様の理由で、椅子やテーブルなどの什器備品も都度に必要となり、既製品ではなく造作物が求められる。
少しずつ加えられ続けるということは、デザインは多かれ少なかれ時間差を伴う。通奏部分と差異を分別することになる。オーナーからの要望は 「博多らしさ、酒蔵らしさ、日本らしさ、でも新しく。」
この文言をそのまま、ルールの底辺として憶念している。素材を踏襲するために杉や漆喰でとなれば、カタチは現代的であるように。肉太の既存フレームに対して細身さを、あるいは、その水平垂直性に対して、斜材を添える。一方、踏襲されたこれらの素材に、アルミやステンレスや真鍮、ポリカーボといった日本建築にとって異種を混在させる。100年前後の星霜を刻んだ素材の存在、具体的にはその表面に対して、新しく造作された部分がどのようにして白けずに同居できるか、表面と表面の対決でもあると考えている。
古い木造建築物が、凍結保存ではなく動態の状態で残るためには、現代への即応、変化が必須であることに改めて気付かされる。しかし、原型を失っていけば、保護法的な公的支援との決別を覚悟することになる。そして、基準法に触れ、合法化のための変化も必要になる。
建物が時代を遊泳し続けるための息継ぎのようなものとしてデザインが求められる。息継ぎというからには、当面の利益にならなければならないが、同時に、遠泳できる息継ぎでありたい。デザインの積み重ねが長い時間スパンに耐えうるものであるか、設計者に課せられた内なる命題として響き続ける。
石山修武研究室Xゼミナールより転載