明治43年(1910年)築造の古い蔵など、とうてい使えないだろうというところから始まりました。施主にとってこの蔵は、小さい頃に説教で閉じ込められた苦い思い出もあり、土壁はひび割れ、内部は暗く薄汚れ、朽ちていくのをただ待つだけの老兵にしか映っていなかったのかもしれません。
一方、新旧の建築を見続けてきた外部の者からすれば、「これは簡単には壊せない」ものでした。この場所の歴史をその身に刻み込んだ佇まいからは、新築では決して生み出すことのできない過去の技術や手間、歴史の類いの付加価値が放たれていました。
まずは、蔵を壊す新築案と、この蔵に新築をドッキングさせる増築案とを、並行して提案しました。蔵を活用した提案は、高さや広さに制限が生じるという問題も浮き上がり、増築案の方へ向かっていきました。この蔵は一度、計画の中で失われました。
見積り作業を経ると、解体+新築の場合、予算を1,000万円近くオーバーすることがわかりました。そこで初めて、蔵を活用しかつ費用を抑える方向へと、大きく舵が切られました。次の問題は、どのような改修を行うか?でした。
古いものを残す場合に、ある時代への再生の道を選ぶと、手間がかかり、どうしてもお金がかかってしまいます。 そこで、お金の力ではなく、人の力を借りるワークショップの活用を提案しました。 纏った汚れを丁寧に落とせば、わざわざ真新しい仕上げを上書きしなくとも、使えるものは使えます。 時間を経て落ち着いた土の錆色も、なぐり仕上げの大きな太鼓梁も、新築では再現することはできない魅力でした。 傷んでそのままにはできない箇所の部分的な補修もまた、歴史としての新たな価値を持たせることができるのではという、考え方の提案です。
まずは、改修後に壁のなくなる部分を中心に既存の土壁を掻き落とします。
次に集めた土を下塗り/中塗り土として、穴のあいた箇所や亀裂に手で塗り籠めていきます。
最後に、素人でできる範囲のみ、既存の土に砂や漆喰を混ぜた仕上げのコテ塗りを行い、 全部で3段構成のワークショップとしました。
上記のワークショップを取り入れ、蔵の増改築案を練り直し、再見積りの後に減額調整を行ったところ、最終的には新築案よりも税別約500万円ほど安く抑えられる算段がつきました。 そして、この失われていたかもしれない、築100年を超える時間を生きてきた蔵を、残し、現代建築(住宅)へと転生させることができました。
(左)蔵1階玄関の小上がりより、玄関たたき土間と新旧漆喰壁が相見える空間。
(右)かつての蔵の外壁はかたちをそのままに、階段室=増築部分と既存蔵との狭間で、内壁として転生し、新旧空間の存在を際立たせています。
蔵の2階は、客間兼仏間である和室と、寝室へ。小屋組みを現しのまま、小さな空間ながらダイナミックな構成となっています。
最終的には、既存の壁の不陸やひび割れ、素人のコテ跡は、施主の意向で職人による平滑な漆喰壁で仕上げることになりましたが、丁寧に拭き取った柱や梁によって、かつての佇まいや、この建物が刻んで来たゆっくりとした時間が、継承できたのではないかと思っています。土のひび割れや酸化による錆色を、趣ととるか、汚れや不具合ととるかの判断は、おそらく日本中の古建築再生に関わるデリケートな美学の範疇なのだろうと思います。
2階より、階段室を見下ろす。有効幅員約1100mmの階段室は、居場所としての包容力を持つスケールになっています。
増築側の2階を、キッチン、ダイニング、リビングによるワンルームとし、蔵とは対照的に、小屋組みを見せないことで広々と感じられる空間としています。壁天井をつなぐ白色漆喰により、明るい空間を目指しました。
柱をバルコニー(外部)へと飛び出させ、開口部を大きく一続きに設けることによって、内外の一体感による広さを演出しています。ガラス越しに見える構造柱、鴨居を支える半柱や、障子縦桟のランダムなピッチを林立する木々に見立て、山裾の風景との連続として考えています。外壁仕上げや構造は、「田舎の風景の中に慎ましくありたい」という施主要望の黒色塗装とし、内部の白とは対比的な外観となっています。